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世界に3台しか存在しない「幻のMR2」! 悲運のラリーマシン「トヨタ222D」の本気すぎる中身

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/TOYOTA GAZOO RACING/FCA/Auto Messe Web編集部

セリカTC-ターボを超えるスーパー・ラリーマシン

 2017年の世界ラリー選手権(WRC)に、18年ぶりに復帰したトヨタ(TOYOTA GAZOO Racing)は、翌2018年には見事マニュファクチャラー・チャンピオンに輝きました。そして、2019~2020年にはヒュンダイと激しいタイトル争いを繰り広げた結果、2019年はオィット・タナックが、2020年にはセバスチャン・オジェがドライバー・チャンピオンに輝いています。2020年にはセバスチャン・オジェがドライバー・チャンピオンに輝いた 1970年代序盤からWRCに本格参戦を始めたトヨタは、グループAがWRCの主役となった1980年代後半からはトップコンテンダーの一角を占めます。1990年にはカルロス・サインツをドライバー・チャンピオンへ導くとともにコンストラクター・ランキングでも2位に進出。1990年にカルロス・サインツが駆るトヨタ・セリカがコンストラクター・ランキングでも2位に進出している 1993年にはユハ・カンクネンがドライバー・チャンピオンに輝くとともに悲願だったコンストラクター・チャンピオンをも獲得、見事なダブルタイトルを手に入れています。1993年にユハ・カンクネンがドライバー・チャンピオンに輝いたマシン しかしそれ以前、グループBで戦われていた1980年代中盤にも、超弩級のラリーカーを開発していました。レギュレーションの変遷に翻弄され実戦デビューすることは叶いませんでしたが、そのポテンシャルにはトヨタも絶対の自信を持っていました。今回はそんな悲運のマシン、トヨタ222Dを紹介しましょう。お台場MEGA WEBに展示されているトヨタ222D

ベースモデルは初代MR2

 トヨタ222Dは、ひと言で言うなら、トヨタMR2をベースにしたグループB/S仕様のラリーカーです。それではもう少し詳しく、そのキャラクターを解説していきましょう。

 先ずベースとなったモデルですが1984年に発売されたMR2の初代モデル(AW10系)で、国産量販モデルとしては初のミッドシップ・レイアウトを持った2座スポーツカー。ベース車両のトヨタMR2 AW10系という型式からもわかるように、カローラ系のメイン・エンジンだったA型(1.6Lツインカムの4A-Gと1.5Lシングルカムの3A)エンジンを搭載。足まわりや駆動系には、当時のカローラ(後輪駆動から前輪駆動にコンバートされた5代目のE80系)のコンポーネントが流用されていました。トヨタMR2のエンジン

WRCのレース規定グループB&Sとは

 続いてはグループB/Sについても触れておきましょう。グループBとかグループSというのは当時、世界中のモータースポーツを統括していた国際自動車スポーツ連盟(FISA。1981年に国際スポーツ委員会=CSIから改組。現在の世界モータースポーツ評議会の前身)が定めた競技車両の分類法です。それまで数字の1から8までに分けられていたものが1981年からはアルファベットのAからF、N、Tの8つに再分類されていました。

 WRCでは、それまで主役を務めていたグループ4からグループBへと主役が移行したのですが、車両公認を受けるための条件が、前者が「連続する24カ月間に400台生産された車両」であったのに対して、後者では「連続する12カ月間に200台製造された車両」とハードルが引き下げられていて、より多くのメーカーが参戦するようになりました。Gr.Bカテゴリーのレギュレーションは12ヶ月で200台のマシンを生産することだった セリカのグループ4仕様で戦ってきたトヨタも、グループBとして車両公認を受けたセリカGT-TS(3代目となるA60系で4T-GTエンジンを搭載)で戦うことになりましたが、このころにはもう、WRCの主流は4輪駆動に移るとともに、エンジンもフロントからミッドシップへと載せ替えるケースも増えてきていました。グループBとして車両公認を受けたトヨタ・セリカGT-TS そうした状況を受け、次期主戦マシンとして企画されたのが222Dでした。

WRC参戦車両の主流を取り入れたトヨタ

 当然、エンジンをミッドシップに搭載した4輪駆動という基本的なパッケージは決定していて、当時のトヨタで唯一のミッドシップ・レイアウトを持っていたMR2をベースに開発を進めていくプロジェクトがスタートしています。お台場MEGA WEBに展示されているトヨタ222Dのリヤビュー ボディ構成は、2シーターと割り切ったMR2のボディ(モノコック・フレーム)を、キャビンの前後で切り落として、前後にパイプで構築したフレームを組み付けるという、まるで“シルエットフォーミュラ”と呼ばれたレーシングカーにも似たものとなっています。トヨタ222Dのフロント補強バー キャビンの後方に搭載したエンジンは、ベースモデルのA型に代えて、その兄貴分たるS型(2L直4ツインカムの3S-GEをベースに排気量を2053ccまで拡大し、ターボを装着した3S-GE改)を採用。最高出力は500ps以上とされていました。トヨタ222Dのリヤカウルを開閉すると3S-GE改が現れる 当初は、ベースモデルと同様に横置きマウントとされていましたが、テストを重ねた結果整備性に難があり、またミッションの耐久性にも問題があったことから、フェイズII(改良モデル)では縦置きに変更され、前後の重量バランスも47:53という理想的なものとなっていました。

 このシャーシ(フレーム)に組付けられたサスペンションは、前後ともにダブルウイッシュボーン・タイプでアームには市販車のパーツを流用。また一見するとストラットタイプにも映るスプリングダンパー・ユニットに別体のダンパーを1本追加、減衰のキャパシティを引き上げていました。トヨタ222Dの足回り

ホイールベースはMR2より150mm延長

 エクステリアデザインは、全体としてはMR2のシルエットを受け継ぎながらも、フロントビューはヘッドライトをMR2のリトラクタブル式から埋め込み式に変更するとともに、大径の補助ランプと縦に並べることでイメージを一新。トヨタ222Dのフロント 例えて言うなら、ル・マン24時間などの耐久レースを戦うレーシングマシンにも似たルックスとなっています。また幅広のタイヤを装着することに備えて、前後のフェンダーは大きくフレアーしたブリスターフェンダーを装着したことで、一層凄みを増していました。一方、ホイールベースはMR2の2320mmから2470mmまで150mm延長されています。トヨタ222Dのリヤホイール

ホイールベースを極限まで切り詰めたパッケージ

 フェイズI(初期モデル)のエンジン横置きからフェイズIIではエンジンを縦置きにしたことで、ホイールベースが延長されたかは手許の資料では確認できません。ですが、今回撮影できたフェイズIIではリヤのカウルを開けると、エンジンの手前にミッションとトランスファー、上面にはインタークーラーをはじめとする補器類が配され、エンジン自体は見えづらくなるほど“密度”が高くなっています。トヨタ222Dのリヤセクション そのことから考えると、これはホイールベースを極限まで切り詰めたパッケージということになるでしょうか。しかし実際のところライバルに挙げられたプジョー205T16は、エンジン横置きでホイールベースは2540mm。Gr.Bマシンのプジョー205T16 ランチア・デルタS4はエンジン縦置き……ただし前後逆にしてエンジンの前方、キャビンスペースに食い込むようにマウントされています。ですが、ホイールベースは2440mmとなっていて、単に横置きだから短い、縦置きだから長い、という論法は成り立たないようです。いずれにしても、222Dのパッケージングは高効率ということです。無敵だったランチア・デルタS4

わずか10台生産をすれば参加することができたグループS

 ここでもう一度、グループB/Sについて追加説明をしておきましょう。ミッドシップ・レイアウトと4WD。WRCの必須アイテムを与えられて開発が進んできた222Dですが、FISAがWRCに、グループBの発展形(と呼ぶのが妥当なのかは意見が分かれるところですが)とも言うべきグループS の導入を決定したのです。トヨタ222Dのフロントセクション グループBでは「連続する12カ月間に200台製造された車両」が公認されていたのですが、グループSでは「最小生産台数は10台」とされていました。

 純レーシングエンジンは認められず、“現存する”ユニットをベースに自然吸気(NA)なら2L以下、ターボ付きなら1.2L以下で最低重量は1000kg以上、などの条件はありましたが、わずか10台を生産すれば、それでWRCのトップカテゴリーを戦えることになったのです。

 当然、トヨタも222DをグループB仕様からグループS仕様にコンバートすることになりました。

1986年のツール・ド・コルスで大きなアクシデントが発生で幻へ

 7台のフェイズIに続いて、エンジンを縦置きにコンバートするなど多くの手を加えたフェイズIIを8台、計15台の222Dが製作されましたが、1985年の9月にFISAは、1987年からはグループBではなくグループSがWRCの主役になることを決定。

 トヨタはグループBとして開発してきた222Dの開発を継続するとともに、新たにグループS用のエンジンを開発することになり、そのベースとしてS型に白羽の矢が立てられた、とも伝えられています。しかし実際には1986年のツール・ド・コルスで大きなアクシデントが発生すると、FISAはグループSのプロジェクトを白紙に戻すとともにグループBの存在自体を見直し、1987年からはより市販のロードゴーイングカーに近いグループAをWRCの主役に据えることを決定。Gr.A時代のトヨタ・セリカとスバル・レガシィ グループB仕様として開発されてきた222Dも、そこから派生したグループS仕様のプロジェクトもとん挫することになってしまいました。FISA(やFIA)に参加者が翻弄されるケースは決して少なくはありませんが、そのようななかでもこの一件は、歴史的にも大きな問題となってしまいました。ナイトセクションも考慮し、ヘッドライトと一体型になったフォグランプ

15台が製作された222Dだが3台しか現存していない

 結局、15台が製作された222Dですが、今回取材した白いボディの個体はフェイズIIの4号車(222D-11)で、トヨタ博物館が所有。現在は都内はお台場にあるMEGA WEB内ヒストリーガレージ1階、MOTORSPORTS HERITAGEに展示されています(現在は当面の間休館中)。

 またドイツはケルンにあるトヨタ・モータースポーツ(TMG=Toyota Motorsport GmbH。現在のトヨタ・ガズー・レーシング・ヨーロッパ)の本社には、フェイズIIの1号車である黒いボディの222D-08が保管されていて、現存する222Dは、この2台のみとされてきました。ヨーロッパで予感されているI型のトヨタ222D しかし、2007年の夏にイギリスはグッドウッドで開催されたフェスティバルofスピードでは、エンジンを横置きにマウントしたフェイズIの個体が展示されたようで、都合3台の222Dが現存することが確認されています。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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