セドリックやサニーとともに、日産の経営基盤を確立した3本柱のブルーバード
“技術の日産”を標榜してきた日産自動車のラインアップの中で、旧プリンス自動車の流れを汲むスカイラインやグロリアに次いで長い歴史を持っているモデルがブルーバードです。
当初はダットの息子でダットソンのネーミングでしたが、ソンは損に通じるということで太陽のサンに代えてダットサンとなったという経緯がありました。そう考えるならばブルーバードは80年を超える長い歴史があるということになります。今回はその中で、ブルーバードが辿った半世紀を超える長い歴史を、本流だけではなく支流も含めて振り返ります。
ブルーバードを名乗る前からモータースポーツに挑戦
初めてブルーバードを名乗ったモデルは、1959年に登場した初代ダットサン・ブルーバードでした。型式は310系で、その点からも1955年から1959年にかけて生産販売されていたダットサン乗用車(110型系と210型系)の直系とされています。
SSやSSSグレードが登場しサファリでも大活躍
ブルーバードは1963年に2代目となる410型系に移行しています。日産初のフルモノコック・フレームを採用したことが大きな特徴で、4ドアセダンに加えて1965年には2ドアセダンも追加されています。
さらに1970年には1770ccのL18型を搭載した1800SSSも追加設定されると同時に、下位グレードがL13からL14(1428cc/85ps)に移行しています。
サイズ拡大で車格アップし6気筒モデルも登場
1971年の8月に3度目のフルモデルチェンジを受けて、ブルーバードは4代目の610型系に移行します。シャーシの基本設計は、マクファーソンストラット/セミトレーリングアームの4輪独立懸架にディスク/ドラムのブレーキを備えていて、先代の510型系のそれを踏襲していました。ですが、全長が120mm延長されて全幅も40mm拡幅、車重も90kg増加して車格がアップし、車名もブルーバードUとサブネームが追加されていました。
またデビュー2年後には、ホイールベースを55mm延長して直6エンジンを搭載した2000GTシリーズが追加設定されています。モータースポーツに関しては直4エンジンを搭載した1800SSSがラリーに参戦し、73年のサファリではダットサン240Zに続いて2、4位に入賞、日産のチーム優勝にひと役買っていました。
しかし510型系直系の後継となるバイオレット(初代モデルの710型系)が、やがて主戦マシンとなっていきます。
原点回帰で人気復活 そして前輪駆動へと変貌
時代に翻弄されるように迷走していたブルーバードは、1979年の11月に5度目のフルモデルチェンジを受けて6代目の910型系に移行します。2ドアハードトップに加えて4ドアハードトップもラインアップに加えられましたが、その一方で4代目の610型系で登場した、直6搭載のロングホイールベース仕様を廃止。直4モデルのみの潔いバリエーションとなったことが大きな特徴でした。
その直4エンジンにはデビュー半年後にターボが追加設定され、さらにモデル中期にはZ系からCA系に移行。大ヒットとなった3代目/510型系に似た、直線的でクリーンなスタイリングとなったことが最大のトピックで、ベストセラーに返り咲いています。
モータースポーツに関してはスペシャルシャシーに2L直4のレース専用エンジンを搭載しグループ5に則った、いわゆるスーパーシルエットカーが登場。富士GCシリーズのサポートレースなどで活躍していました。
4輪駆動をラインナップしブルーバードマキシマが単独車種として独立
1987年の9月に7度目のフルモデルチェンジを受けて、ブルーバードは8代目のU12系に移行しました。4ドアセダンと4ドアハードトップの2車型で4輪ストラットのサスペンションも先代と同様でした。ですが、当初はエンジンも先代から踏襲したCA系を搭載していましたが、後期モデルでは新設計のSR系にコンバートされていました。
シャシーをめまぐるしく変更しながら5ナンバーフルサイズに
直4エンジンを搭載したモデルのみとなったブルーバードは、1991年の9月に8度目のフルモデルチェンジを受け、9代目のU13系に移行します。先代のU12系と同様に4ドアセダンと4ドアハードトップの2車型でしたが、ハードトップがピラーレスからピラードハードトップに変更され、プレスドアのセダンに対してサッシレスのハードトップはイメージ的にも大きな違いを演出していました。
さら1996年には9度目のモデルチェンジを受けて10代目となるU14系に移行しています。最大のニュースはプリメーラ(2代目のP11型系)とフロアパンを供したことで、結果的に前後サスペンションもマルチリンク式とマルチリンクビーム式(2輪駆動。4輪駆動はストラット式)に変更されていました。同時に全長とホイールベースも、それぞれ20mmずつ短縮され、若干ながらダウンサイジングを果たしていますが、全長は4565mm、全幅は1695mmと、引き続き5ナンバー・フルサイズであったことには変わりありませんでした。
サニー改めシルフィも本流とはならず! そしてブルーバードが消滅
10代目のU14型系が2001年に生産終了となった後は、2000年に登場していたブルーバードシルフィがブルーバードの名跡を継ぐことになりました。フロアパンはサニーと共通でしたが、ブルーバードを名乗ることから1.3L~1.8Lのエンジンを搭載していたサニーに対して1.5L~2Lへとエンジンを1クラス上方にシフト。上級グレードには2L直噴式のQR20DD型が用意されていました。
モデルチェンジのたびにボディを肥大化させ、エンジンの排気量を拡大していく。やがて空白となったポジションに、新たな(車名の)モデルを投入する。世界中のメーカーが、いまだにこの悪弊を断ち切れないでいるのですが、セドリックとともに日産の屋台骨を支えてきた3本柱のふたつ、サニーとブルーバードが混乱の末に消滅していった(消滅させざるを得なかった)ことは、日産の苦悩の深さを表しているようにも思われます。