遊び心にも溢れていたホンダ・シティ
1980年代のキラキラなホンダ車に話を戻すと、マーケティング用語でいうと“提案型商品”だったところが特徴のひとつ。典型的だったのは初代シティで、言ってみればコンパクトなベーシックカーだったが、背の高いユニークなスタイルで、マンハッタンルーフ、ターボ、ターボII(ブルドッグ)、カブリオレ(ソフトトップの設計はピニンファリーナ、ボディ色は12色も設定された)といった、思わず乗りたい! と思わせるバリエーションの追加は、その都度ユーザーの気をソソるものだった。 それと初代では乾燥重量42kgの2輪のモトコンポを用意し、トランクにすっぽりと収められるようにするなど、遊び心にも溢れていた。“いかにもホンダらしい”と当時よく言われたクルマの代表といったモデルだった。
実用車からスポーツモデルもあったホンダ・シビック
もう1台、シビックも忘れることはできない。サッチモ(ルイ・アームストロング)の歌と渋い映像のCMが記憶に残っている方も多いと思うが、3代目のこのワンダー・シビックは、エポックメイキングだった初代、2代目とは文脈が違う、実用車だがスマートに乗りこなせるところがポイントだった。 弾丸フォルムの3ドア、クリーンなセダン(バラードもあった)、個性的な5ドアとデザインも素晴らしかった。1984年には1.6LのDOHCを搭載した高性能モデルのSiも登場させている。
また3代目シビックのスポーツクーペ版として同時に登場した初代バラードスポーツCR−Xは、2200mmのショートホイールベースのFFライトウエイトスポーツカー。走りを愉しむファンから注目を浴びたモデルだった。
日本車離れしたスタイリングのホンダ・アコード
それと3代目アコードも印象深い。この原稿で取り上げた車種は、いすれも登場時に筆者は試乗しているが、リトラクタブルライトのセダンとエアロデッキは、感銘を覚えた1台だ。というのも2600mmのホイールベースによる、おっとりとした乗り味が当時としては極上のものだったから。 落ち着いたデザインのインパネをはじめとした内装の心地よさ、日本車離れしたスタイリングなども実車を見て感動した次第。エレガントさでは後継の4代目(とくにUSワゴン)もそうだったが、その後のアコードは、次第に存在感が薄れていったように感じたこともあり、リトラのアコードは歴代最高のアコードだと今でも思える。
搭載するV6エンジンが静かすぎたレジェンド
輝いていた時代のホンダ車としては、ほかにプレリュード、初代クイント・インテグラも外すわけにはいかないが、少し前に記事に取り上げたばかりだから、今回は割愛させていただく。 そのほかにホンダ車初の3ナンバー車が設定されたフラッグシップのレジェンドも、それまでのホンダ車とは一頭地を抜く車種として注目だった。
このモデルは当時ホンダの提携先でもあった、オースチンローバーグループのローバー・スターリングと同時開発されたモデル。さらにハイクラスな2ドアハードトップも用意された。搭載するV6エンジンが静かすぎ、走行中はロードノイズのほうが目立っていた……そんな試乗時の記憶も残っている。
AMWで記事をお引き受けし、昔のカタログを眺めていると、本当に毎回、あのころはよかった、あのころに戻りたい……と思う。ホンダ車がキラキラだった時代。こう書くことで行間をお察しいただきたいが、ホンダ車が再びキラキラと見える日が来ること(新型ヴェゼルあたりにその兆しがある?)を楽しみにしたい。