ポルシェ博士は小型経済車を作りたかった
130年を超えるクルマ……より正確に言うと内燃機関を持った4輪自動車の歴史のなかで、もっとも偉大な技術者のひとりとされるフェルディナント・ポルシェ博士。「技術の粋を集めたスポーツカー(レーシングカー)」や「生産性を向上させる農業用トラクター」とともに「大衆のための実用的かつ進歩的な小型経済車」の製作を生涯の目標にしていたと伝えられています。 その3つのうち最後まで残っていたのが3番目の小型経済車でした。前のふたつは、いち自動車技術者として設計開発すれば“こと足りた”のですが、3番目だけはもっと大きな体制が必要になる。そこで彼が選んだ道がフリーランスの設計事務所を設立することでした。
シュトゥットガルトに本拠を構えたポルシェ博士は、これ以降、多くのメーカーからの依頼に応えてクルマを開発していきますが、やはりなかでも力が入っていたのは、3つの目標のうちいまだ完成していなかった小型経済車でした。
ポルシェ博士が設計事務所を興して1年後に、初めての大仕事が舞い込みました。クライアントはヴァンダラー社。自転車からオートバイ、そして4輪車へと進出してきたメーカーで、のちにアウトウニオンに参加して以降はミドルクラスを担当することになりました。
そんなヴァンダラーがポルシェ博士の事務所に設計を依頼したのはミディアムクラスの乗用車でしたが、これに応えたポルシェは1.7L直6エンジンを搭載したType W15を設計開発しています。
このType W15は発売されると好評を博したため、ヴァンダラーはさらにその上級モデルの開発をオーダーしました。ですが、ポルシェ事務所での開発が終わる前にアウトウニオンが誕生し、そこに参加したヴァンダラーはミディアムクラスに専念。結果的に第2弾が商品化されることはありませんでした。
試作車が3台製作されるも現存しないフォルクスアウト
ポルシェ事務所にとっては残念な結果となりましたが、そのタイミングで新たな、そしてもっと魅力的な仕事が舞い込むことになります。それが2輪メーカーだったツェンダップ社(Zündapp)からのオーダーで、ポルシェ博士が設計したかった小型乗用車の設計開発でした。
何故かクライアントからは星形エンジンを使用することが条件として提示されていので、小型経済車には水平対向エンジンがベストと信奉していたポルシェ博士もそれを呑んで設計したモデルがフォルクスアウト(Zündapp Vorksauto/Porsche Type 12)でした。 エンジンこそ博士の理想とは異なっていましたが、フロアパネルで強化したバックボーンフレームやトランスバース・リーフスプリングで吊った4輪独立懸架、そしてエンジンをリヤアクスルの後ろにマウントしたリヤエンジン・パッケージなど、ポルシェ博士が小型経済車に必須と考えていた数々のアイテムが盛り込まれていました。
3台が試作車が製作され、厳しいテストが実施されましたが、本格的な量産に取り掛かろうとする段階でプロジェクトの中止が伝えられました。当初の構想を遥かに上まわる予算感に、クライアントが驚いた結果でした。 3台の試作車のうち2台は破棄され、最後に残っていた1台も、1944年のシュトゥットガルト空襲で破壊されてしまいました。ただ当時の資料からスケールモデルが製作され、ニュールンベルク産業文化博物館(the Museum forIndustrial Culture, Nuremberg)で収蔵展示されています。スケールモデルの出来映え自体はともかく、星形エンジンを含めて主要メカニズムをリヤに纏めた全体のイメージは十分に想像することができます。 ポルシェ事務所に続いて舞い込んだ小型経済車に関する仕事は、やはり2輪メーカーだったNSU社からの案件でした。このときは『(エンジンも含めて)すべてポルシェ事務所に任せる』とのお墨付きが出ていて、ポルシェ博士も一層気合が入ったようです。
NSUプロトティープはフォルクス・ワーゲンType1の原型そのものだった
信奉していた空冷水平対向4気筒エンジンを新たに設計開発し、フォルクスアウトの基本パッケージをさらにブラッシュアップした車体に搭載してNSUプロトティープ(NSUPrototyp/Porsche Typ 32)が完成しました。 空冷水平対向4気筒のOHVエンジンは、排気量が1447ccで最高出力は28ps。リヤアクスルの後方にマウントされ、これに4速のトランスミッションを組み合わせていました。フロアパネルの中央をパイプが貫通するバックボーンフレームに、ダブルトレーリングアームをトーションバーで吊った4輪独立懸架式のサスペンションを組み込んだシャーシは、“ビートル”の愛称で親しまれることになるフォルクス・ワーゲンType1にほぼ近いものとなっていました。 このNSUプロトテュープは都合3台が製作されています。2台はウッドフレームに人造皮革を張ったボディを持つ仕様で、もう1台は全鋼製のボディを持つ仕様。こちらはシュトゥットガルトに本拠を構えていたカロッツェリアのロイター・シュトゥットガルト車体製造(現レカロ)が製作を担当していました。
この鋼製ボディの1台のみが現存しており、フォルクス・ワーゲン社が本拠を構えるウォルフスブルクに開園した自動車博物館(というよりも、もはやクルマのテーマパーク!)のアウトシュタットに収蔵展示されてます。これも紛れもない技術遺産でしょう。