フランスのエンジンチューニングの匠
ルノーのトゥインゴやクリオのスポーティモデルのグレード名として知られるゴルディーニですが、元々はエンジンチューナーとして1956年にルノーと提携した経緯がありました。そもそもゴルディーニは、かつてフランスに存在した自動車メーカー、シムカと組んでル・マン24時間レースやF1GPにもチームとして参戦した経歴があります。
さらに時間を遡っていくと、第一次世界大戦後に創業者であるアメディ・ゴルディーニがフィアット車のチューニングを始めたのが原点のエンジンチューナーで、その好成績からル・ソルシエ(Le Sorcier。仏で魔術師の意)と呼ばれていました。今回はそんなゴルディーニの歴史を振り返ってみることにしましょう。
ル・マン24時間で大活躍したゴルディーニ
19世紀末の1899年に、イタリア北部のエミリア-ロマーニャ州のバッツァーノに生まれたアメディ・ゴルディーニは、20代のころにフィアットのチューニングで頭角を現し、1930年にはシムカと提携してコンプリートカーを製作するまでになりました。
そもそもシムカは、フランスにおけるフィアットのインポーターからコンプリーターを経てメーカーにまで成長した経緯があり、フィアットのチューナーとして知られたゴルディーニとの接点があったのでしょうか。
それはともかく、シムカとジョイントしたゴルディーニは、1937年にはフィアット508“バリッラ”のフランス版たる6CVをベースにしたレーシングカーを製作。第12回大会となる同年のル・マン24時間レースに出場しています。
そして、アメディ自らがドライブしたクルマはリタイアに終わりましたが僚友が上位で周回。わずか996ccの小排気量ながら、初出場にして12位完走を果たすとともに、何と1000cc以下のクラスでクラス優勝を果たすことになったのです。
翌1938年の第13回大会には、6CVに加えて568ccのサンクや1088ccのユイットなども登場する。さらに戦前最後の大会となった39年には、アメディ自身がドライブしたユイットが総合10位につけて1100cc以下のクラスでクラス優勝を飾るとともに、前年からのビエンナーレカップに輝くとともに性能指数賞でもトップを獲得。シムカ-ゴルディーニはル・マン24時間レースの小排気量クラスにおいて、欠かすべからぬ存在となっていきました。
大戦が終わると1949年にはル・マン24時間レースが再開されることになりましたが、ここからはシムカ-ゴルディーニの名のもとにル・マン参戦を続ける一方で、1950年から始まったF1GPにも参戦を開始していきます。
シムカとの提携関係は1951年限りで終了させ、1952年からはゴルディーニの単独名で参戦を継続。結局F1GPではル・マン24時間のような好成績を残すことはできないまま、1956年限りでその活動は終了しています。