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まさに「青春時代」! クルマに情熱を傾けた熱き技術屋集団「ニスモ」の黎明期を振り返る

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TEXT: 酒呑童子  PHOTO: 日産/Auto Messe Web編集部

キラ星のような名車が数多く誕生した時代だった

  さらに1990年前後といえば、日産自動車からは走り系の面白いクルマが数多く登場していた。R32スカイラインやS13型シルビアのほか、U12型ブルバードSSS-R、K10型マーチR、さらにB12型サニーVRにN13型パルサーR1ツインカムなどの競技専用モデルも数多くラインアップされた時期である。サニーVR

 さすがにR32スカイラインGT-Rは、当時のニスモ社員には高くて手が届かなかったが、クルマ遊びをするにはこと欠かない時代だった。

 当然、当時のニスモ社員もこうしたクルマのほか、旧型のHR31型スカイラインGTS-RやZ31型フェアレディ300ZXターボに乗っている奴もいた。さらには、あろうことか業務上はライバルとなるメーカーのトヨタ・カローラレビン&スプリンタートレノ(AE86)やスターレット(KP61)、三菱ギャランVR-4などに乗っている不届きな連中もいた。確かに当時のニスモスタッフは、クルマ好きが多かったかもしれない。

 設立当初のニスモはレースやラリーといったモータースポーツ専門だったニスモだが、グループCとグループAというメインカテゴリーが消滅した1994年ごろから、それまでとは異なるチューニングパーツ市場に本格的に参入をはじめた。

異色の「最高速トライアル用ファイナルギヤセット」も発売

 そんな時代にR32GT-R用の最高速トライ用ファイナルギヤセットという異色の商品が存在した。当時、谷田部で行われていた最高速トライアル用のファイナルギヤセットである。

 R32GT-Rの純正ファイナルの4.111では、計算上300km/hで7500rpm以上まわってしまう。そこで3.900、3.700、3.500という通常のレースでは使うことのないファイナルギヤセットが生まれた。ちなみに3.500なら300km/h時に6500rpm付近で、エンジンパワーがついてくれば300km/h以上は可能だ。これらは、この時代のニスモ総合カタログにさりげなくR33GT-R用としても掲載されていた。R33のデフ

 ことの経緯は、日産自動車の社員であったX氏が、かつての上司(当時はニスモに在籍)を頼って最高速トライ用のファイナルギヤセットを作ってほしいとやってきた。氏曰く「自分たちのルールで、ノーマルのエンジンルーム、ノーマルのミッション。タービンもツインターボだが純正NISMOタービンという縛りにしている。谷田部で300km/h以上出すためにはどうしても必要なのだ」と熱弁する。R32GT-R モータースポーツを専門とする会社である以上、R32GT-Rが正式に参加していないカテゴリのパーツを開発することに疑問を抱いたのだが、氏の「そちらが生きてきた世界は自分は十分理解している。しかし、こちらが生きてきた世界もモータースポーツだということを理解してほしい。少なくとも俺はあなたたちの世界を否定はしない」というひと言に動かされた。上司も当然、GOサインを出したのだ。

 余談だが、R34GT-Rはゲトラグ社製の6速トランスミッションを採用し、そのファイナルギヤは3.545だった。R32GT-Rと同じ4.111ならサーキットでクロスレシオ化され小気味良い走りを連想させるが、300㎞/hオーバーを実現する仕様が選択されていた。R34GT-R このように1990年代のニスモは、さまざまなチューニングパーツをリリースしていた。むしろ乱発したという表現が近いかもしれない。しかし、商品を出せば売れた。今振り返れば、ある種の“祭り”のような時代で、世の中全体が経済的にも社会的にも余裕があった。

社会環境は大きく変わってしまったが

 では、今のニスモはどうだろうか。

 21世紀を迎える2000年代になると、日本の大手企業は経営効率を優先する時代となった。それまではニスモにも協力的だったサプライヤーも経営効率を優先し、ニッチマーケットであるモータースポーツパーツやチューニングパーツを敬遠する時代になったのだ。加えて企業のコンプライアンスが重視される時代。ひと言で言えば、数の少ないチューニングパーツは作りにくい世の中になったのだ。1990年代とはニスモと取り巻く社会環境は、大きく変わってしまったのである。NISMO本社 加えて、現在日産車のラインアップで走りを楽しめるクルマは非常に少ない。マニュアルミッション車では、マーチNISMO SとフェアレディZ、そして2ペダルのR35GT-Rの3台ぐらいしか走りを楽しめるクルマはないのである。さらにマーチNISMO Sが登場した2013年以前では、マニュアルミッション車はフェアレディZのみという時代もあった。NISMO

 そんなクルマ好き、走り好きにとっては世知辛い世の中になった21世紀。かつての新入社員も間もなく定年の時期を迎える。一方で若手の新入社員のなかには、やっぱりクルマ好き、走り好きが多い。昨今、若者のクルマ離れが叫ばれるなか、モータースポーツ専門会社を目指してくるのだから、当然といえば当然。ドリフトを楽しむ奴、ミニサーキットでグリップを楽しむ奴。実際、ニスモの走行イベントでも速いタイムで走る若手社員もいる。その点では、クルマ好きの集団というDNAは変わっていないように思える。ただ、モノづくりの環境が大きく変わったということではないだろうか。

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