世の中のニーズと合致しなくなった
トヨタ2代目ウイッシュ
2003年のデビュー以来快進撃を続け、2009年のフルモデルチェンジまでに約52万台の初代モデルを販売したトヨタ・ウイッシュ。 しかしバトンを受け継いだ2代目は、8年半という長い販売期間にもかかわらず約23万台しか売れなかった。台数でいえば、失敗である。 初代デビュー時は年間約16万台と驚くほど売れたのに比べると、生産終了の前年となる2016年の販売台数はわずか1万752台。1/15程度に過ぎないのだから、まさに盛者必衰である。
とはいえ、販売が振るわなくなった原因はクルマ自体ではなく市場の変化だ。2003年ごろはミニバンにおいて多様化を迎えていたピークで、背の低いタイプも強い人気があった。しかしその後、ミニバン市場は背が高くて室内が広いモデルに人気が集中。広さの時代を迎え、ウイッシュは世の中のニーズに合致しなくなっていったのである。 余談だが、2代目モデルの開発主査は一時期、多田哲哉氏が務めていた。多田氏といえば86やスープラといったスポーツカーのイメージが強いが、その前はウィッシュや初代ラクティスなどファミリーモデルの開発もまとめていたのだ。
フルモデルチェンジを境にクルマの人気が落ちた場合、フルモデルチェンジで変更された“何か”が原因とされることが多い。しかし、状況を冷静にみるとそうではなく市場の変化によるケースも少なくないのである。