レース界のレジェンドによる夢のレース開催!
残暑も少しずつ緩んできた9月最後の週末、富士スピードウェイではレース界のレジェンドによる“夢のレース”が開催されました。インタープロトシリーズ POWERED BY KeePer 第3大会に併催されたAIM Legend’s Club Cup 2021が、その夢のレース。レース好きなら、名前を聞いただけで唸ってしまうようなレジェンドたちが、ウエットで肌寒いコンディションを跳ね飛ばすようなレースを繰り広げることになりました。
第1回日本GP勝者から、F1GPに昇りつめたドライバーまで
いきなりですが、多賀弘明 、寺田陽次郎、 藤井修二、片山右京、柳田春人、岡本安弘、黒澤元治、見崎清志、桑島正美、片桐昌夫、 関谷正徳、佐々木秀六、中谷明彦、福山英朗、戸谷千代三、長谷見昌弘、長坂尚樹というお歴々をご存じでしょうか。
全員知っているという読者は相当のレース通です。この17名が今回のAIM Legend’s Club Cup 2021に参戦したドライバーの皆さんです。
最年長は御歳87歳(1934年3月生まれ)の多賀弘明さんで、もっとも若年の片山右京さんでも58歳(1963年5月生まれ)。国内トップカテゴリーのSUPER GT(GT500クラス)でもっともベテランとされている立川祐路選手が46歳(1975年7月生まれ)ですから、片山さんとはひと回り、多賀さんとはじつに3回り半も歳の差があることになります。
もちろん、レジェンドがレジェンドたる所以はそのキャリア。F1GPまで上り詰めた片山さんのことは、活動時期が比較的最近だったこともあって、多くの読者がご存じでしょう。1992年から1997年にかけてF1GPでの通算出走回数95回は、日本人最多記録として現在も破られていません。
一方、最年長の多賀さんは1963年に鈴鹿サーキットで開催された第1回日本グランプリのツーリングカー(CⅣ)レースで優勝。それもデビューレースウィンを飾っています。
2輪のレーシングライダーとしても魁のひとりで、1963年の第1回日本グランプリではスバル450を駆り、ツーリングカーレースでクラス優勝したキャリアを持つ大久保力さんが会長を務めています。2013年4月に発足した当時は、ゴールドスタードライバーズクラブ(Gold Star Drivers Club of Japan)を名乗っていましたが、2017年に現在の名称に変更されました。
レジェンドによる夢のレースは今回で3回目
AIM Legend’s Club Cupは2018年11月に第1回大会が開催され、翌19年の10月には第2回大会が実施されており、今回は第3回大会となります。使用するマシンは富士チャンピオンレース(FCR)のVITAレースや、KYOJO(競争女子)Cupでも使用しているウエストレーシングカーズ製のネオ・ヒストリックレーサー、ヴィッツ用の1.5Lエンジンをミッドシップに搭載したウエストVITAのワンメイク。タイヤも同様にダンロップ製のワンメイクとなっています。
とは言っても悲しいことに年齢と適応性、つまり初ドライブでのラップタイムは反比例するようで、土曜日に行われた予選では最年少の片山さんがトップタイム。70歳の藤井さんは9番手、74歳の佐々木さんは13番手に留まってしまいました。
ウエットコンディションが演出した接近戦
日曜日に行われた決勝レースは、生憎のウエットコンディション。気温も上昇せず肌寒いほどでしたが、このコンディションではレースがタフなものとなるのは仕方ないところ。当初は8周のレースが予定されていましたが、セーフティカーに先導されて2周したあとで、周回数も6周と減算されてレースがスタートしました。
セカンドローから好ダッシュを見せた福山英朗さんと中谷明彦さんが、2番手スタートの見崎さんをパス。ポールからスタートした片山さんを両側から挟み込むようにして、TGRコーナー(1コーナー)には3ワイドで突っ込んでいきました。
その後方で2位を争っていた福山さんと中谷さんは、滑りやすい路面に足をとられながらも接近戦を展開していました。福山さんによると「コース後半では少しタイヤも温まるけれど、長いストレートでまた冷えてしまうから、1コーナーではタイヤがまったくグリップしなかった。タイヤライフも考えてこんな設定になっているのだろうけれど、今日のようなコンディションだと、ジェントルマン(ドライバー)の人にはちょっと厳しいよね」とのことでした。
そんなトップ3の後方から、彼らに離されまいと懸命な追走を続けていった見崎さんは「タイヤがグリップせず怖かったし、表彰台にも上れず悔しかったけれど、また次回も出たい。今度こそ優勝したいですね」と意気盛んでした。
老いては子に従え!?
前回も出場していた柳田春人さんは、“Zの柳田”や“雨の柳田”として知られています。
また今回が初出場となった佐々木秀六さんは“マムシの秀六”と呼ばれ、悪コンディションでも決してあきらめないレース運びで有名でした。
しかし、最近のレースファンの間では、SUPER GTで活躍している柳田真孝選手や佐々木孝太選手の父親としてイメージされているようです。息子のデビューレースではハラハラドキドキと気を揉んでいたおふたりですが、今回は息子がハラハラドキドキ気を揉むようになって立場が逆転。
一方、この日はインタープロト&KYOJO Cupの主催者としても大忙しだった関谷正徳さんは、スタート前にはお孫さんが応援に駆け付けるなどファミリームードも満点。お孫さんにパワーをもらったか、5番手グリッドからのスタートでしたが、キッチリとポジションをキープしてチェッカーを受けていました。