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ダイハツの「エンジン屋」魂が炸裂! ライバルを制したハイパワー軽「フェローMAX」はスゴかった

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了/ダイハツ工業

レースでもワークスチームが活躍したMAXハードトップ

 フェローMAXはレースやラリーなどモータースポーツにおいても活躍していました。とくにレースに関して言うなら、ダイハツは系列のDCCS(ダイハツ・クラブ・カー・スポーツ)でワークスチームを組織して、当時盛んに行われていたミニカーレースに参戦。そのスポーティなイメージをアピールしていました。

 MAXはキャブレターの交換など、吸気系をチューニングして50~53psあたりまでパワーアップ。1971年から1972年シーズン前半までは、とくにスプリントレースにおいて圧倒的な強さを発揮していました。

 個人的には、学生時代からモータースポーツ専門紙の地方レポーターとしてサーキット通いをしていましたが、中山サーキットに遠征してきたDCCSチームが印象に残っています。当時の記録などが散逸してしまい、レース結果などは不確かですが、確か地元の雄、戸田レーシングでチューンしたZやNが予選で上位につけたものの、決勝レースではワークスの意地を見せつけてフェローMAXが勝ったように記憶しています。後方3番目にフェローマックスのレース車 写真が、そのレースのときのものかもはっきりしないのですが、3番目に並んだフェローMAXは、当時のワークスカラーのようですし、先頭に並んだZは、後に全日本F3チャンピオンに輝く中本健吾選手がドライブしていたクルマだったと思います。

 しかしレースの結果云々よりも、TMSC-R(ダイハツと提携関係にあったトヨタのワークスチーム)契約ドライバーだった、若い舘信秀さん(TOM’Sの創設者で現取締役会長)のカッコいい姿がとても印象的だったことを記憶しています。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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