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「セリカ」「カローラ」「コロナ」! 超貴重なカタログで振り返るトヨタの「ハードトップ車」

ハードトップを日本車でいち早く採り入れたのはトヨタだった

 人に歴史あり……であるのと同じように、日本車にもさまざまな歴史があり、栄枯盛衰などと言うと少々物々しいけれど、時代とともにさまざまなジャンルのクルマが登場してきた。

 “ハードトップ”もそのひとつ。最近ではすっかり耳にしなくなった呼称で、聞かされた瞬間の反応の早さによって、だいたい何時代生まれかわかるだろう。それは昭和の一時代、間違いなく人気を博し、羨望の眼差しが集まったボディタイプのひとつだった。

 直訳のとおり、ソフトトップに対してハードトップであり、布製の幌ではなく金属、樹脂など硬質の素材で造られたルーフのことを指す。さらに広義に解釈して、あたかもハードトップを被せたかのようなルックスのクルマのボディタイプそのものをハードトップと呼び、セダンやクーペと区別するようになった。

ハードトップの定義はサイドウインドウエリアにBピラーがないこと

 そして当初のハードトップの基本的な定義にあったのが、サイドウインドウエリアにBピラーがないこと。またそれに伴い前後のウインドウには窓枠がないこと。いわゆるサッシュレス構造のドアを持つこともハードトップの特徴だ。そんなスッキリとしたスタイリッシュさがもてはやされて、もともとアメリカで流行り出したスタイルでもある。 もちろんサイドウインドウを全開にして走らせれば爽快だった。現実には、ドライバーにとってBピラーの有無は自分の背後のことだから、開放感のレベルは“何となく”であり、後席では一定以上のスピードだと当然、風の巻き込みは強い。だが(筆者もそうだが)若いころ、友人同士でドライブに出かけるような際、そういうこともエンターテインメントのひとつだった。現代は花粉などさまざまな問題があるから、いかにもいい時代の話ではあるが……。

コロナ

 さて、そんなハードトップだが、日本車でいち早く採り入れたのがトヨタだった。最初のクルマは1965年に登場したアローラインと呼ばれた3代目コロナのときで、1964年9月にフルモデルチェンジがあった翌年の1965年7月に追加されたのが日本車初のハードトップだった。 スペックを見るとホイールベースはセダンと共通ながら全高がセダンの1420mmに対し1375mmと低く、横桟基調の専用フロントグリルが与えられるなどして、スポーティさを強調。エンジンは“頭上弁式(OHV)”の1.5Lと1.6Lを設定したほか、さらに同じボディに1.6LのDOHCを搭載、車名もトヨタ1600GTとした高性能モデルとして登場した。

コロナ・マークII

 登場順でいうと、2車種目だったのがコロナ・マークII。ご存知のとおり当初はコロナの上級モデルの位置づけだったため、この車名となっていた。1968年9月に登場した初代はセダンのほか、ステーションワゴン、バン、ピックアップ(シングルキャブ/ダブルキャブ)とバリエーションを持つなかで、ハードトップも用意された。 アローラインのコロナの面影を残しつつ、よりふくよかなイメージの外観や、GLSなどスポーティグレードは専用の丸型3連メーター、3本スポークステアリングなどが与えられた。この初代コロナ・マークIIは人気を集め、発売年の12月には月間登録2万台を記録しベストセラーとなっている。

クラウン

 1968年にはもう1台、10月にクラウン・ハードトップが発売になっている。1967年登場のこの3代目クラウンは、もともと“白いクラウン”の広告コピーで、パーソナル需要をアピールしたモデルだったが、クラス初のハードトップは、優雅な姿でセダンとはまた別の高級感を味わわせてくれた。 味わわせてくれた……と書いたのは、当時小学生だった筆者は、伯父が持っていた、まさしく写真と同じ白いSLに載せてもらい、何度となくドライブに連れていってもらった経験があるから。メーカーは忘れたが1/20スケールだったかのプラモデルも作り、大きな赤いレンズのなかにポツンとオレンジのウインカーとシルバーのバックアップランプが浮かぶテールランプ(好きなデザインだった)を、実車さながらに……と一生懸命にクリアの塗料で塗って仕上げたことを思い出す(途中でルーフをつや消しの黒にし、レザートップに変えたりもした)。

セリカ

 その次は年代で追うと、1972年12月に登場のカリーナ・ハードトップということになる。ただしカリーナはセダンが兄弟車の初代セリカとともに1970年12月に登場しており、セリカもトヨタでは“ベースにセダンを持たないハードトップクーペ”といった表現をしているので、ここでは合わせて取り上げたい。

カリーナ

 カリーナ・ハードトップはリヤクオーターフィンと呼ぶ、リヤウインドウの実際の傾斜よりさらに伸びやかに後方へ伸ばしたCピラーのセミファストバックが特徴。1974年には2LのDOHC、18R-GU型搭載の2000GTを設定するなどした。

カローラ/スプリンター

 それともう1台、30(サンマル)と呼ばれた3代目カローラと同世代のスプリンターも、1974年4月のモデルチェンジを機に、それまでのクーペに代わりハードトップを設定した。後方でサイドウインドウのラインをキックアップさせた小気味いいスタイルを採用したモデル。当初は1.6LのDOHC(2T-Gおよび2T-GR型)搭載のレビンを設定した。

 駆け足で触れてきたが、コロナ・ハードトップが登場した1965年(昭和40年)といえば翌年に初代カローラが登場し、マイカー元年と言われ、いよいよ自家用車が普及し始めたころ。“イキでシックなパーソナルカー”“個性で乗る最高級グランド・ツーリング”(コロナ・ハードトップの当時のカタログコピーより)と、セダンの一歩先を行くパーソナル感覚を打ち出しに、手の届く、けれど眩しい存在だったのが(セダンに対する)ハードトップだった。

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