日本では初代だが北米では3代目となるA70スープラを振り返る
最近、与党総裁選に出馬した女性国会議員の元愛車として、また愛猫の難病手術のために大切にしていた愛車を売却したことから始まる感動秘話など、なにかとワイドショーを賑わせたトヨタ・スープラ。
近年ではBMWと共同開発された通称A90スープラが復活したが、じつは日本では初代となるA70型(以下、A70スープラ)や2代目のA80型(以下、A80スープラ)よりも以前に、日本ではセリカXXとしてお馴染みのA40/50型(1978〜1981年生産)や、A60型(1981〜1986年生産)が、北米ではスープラの名で販売されていた。 こうしたことからクルマのキャラクターやイメージがちょっと紆余曲折しているようにも思えるのだが、北米向けでは3代目、日本では初代モデルとなるA70スープラを振り返りたい。
意外な理由から北米では「スープラ」のネーミングに!
まずA70スープラが日本と北米で車名が分かれたのには意外な理由にあった。英語圏では「X」というアルファベットが当時の成人映画を表す記号として使われていたため、車名にXが入るというのはバツが悪いと考え、北米ではスープラのネーミングで販売されていた。 また、日本ではセリカの上級モデルというポジションを素早く定着させるためにセリカXXの名が与えられたが、コロナの派生モデルとしてコロナ・マークⅡがコロナと上級版のマークⅡに分かれたように考えると分かりやすいだろう。
そして3代目モデルのA70スープラではセリカXXの名を継続するのではなく、海外の情報が自然と入るようになったバブル期であったこともあり、日本でも北米にならってスープラを名乗り、晴れて世界のスープラとなった。スープラはラテン語で「超えて」や「上に」といった意味があり、日本同様に直6エンジンを積んだセリカの上級モデルであることをアピールしながら、差別化が図られたというわけだ。
ライバルのフェアレディZがGT路線へと進むなかスープラも追従
初代セリカXXとスープラ(A40/A50型)は、当時6気筒エンジンを積んだスペシャルなスポーツクーペとして北米で成功を収めていた、日産フェアレディZ(Z31型)に対抗できるクルマが欲しいという声で誕生した。 当初、初代フェアレディZ(S30型)はピュアスポーツカーのポルシェ911を仮想敵としていたが、フェアレディZがZ31型で高性能スポーツGTへと路線変更。A70スープラも、スポーツGTのマーケットを北米で開拓していくことになる。 結果的にA70スープラはGT路線を歩んでいくのだが、筆者個人の意見ではあるがスープラはサーキットでポルシェと対峙できるライバルを目指してほしかったといまでも思う。 しかし、それは仕方ないことだったのだろう。バブル真っ盛りの1985年に4代目セリカ(ST16系)が登場すると、女性人気が高いセクレタリーカーとして大ヒット。2ドアでオシャレなスポーティカーとして人気を集めていたことから、セリカにスポーツ性を強めればライバルのフェアレディZに近づけると考えてもおかしな話ではなかったからだ。