走りも実用性も高かった軽スペシャリティカーを振り返る
今や軽自動車の半数以上がスライドドア付きという時代。確かに平日のホームセンターやスーパーの駐車場ともなると、ボディ色は白、黒が大半だから“色とりどり”とは言えないまでも、各社の背の高いスーパーハイト系1BOXで埋め尽くされている。とにかく実用的だし、これほどコスパの高いクルマは世界中探してもそうそうなく、ユーザーから支持を集めているのは当然のことだろう。
生活にもっとも密着しているのが軽自動車であることは間違いない。しかも今のクルマはどれを選んでもはず失敗がないというか、クルマが届いたその日からサクッと乗りこなせ、実用になる。ある意味で、優秀な家電品と同じスタンスで、誰でも、特別な予備知識やテクニックを要求されることなく使う(乗る)ことができる。運転、安全支援関係の機能も充実しているから、安心感も高い。
何を言いたかったかというと、(時代が違うから当然だが)昔のクルマは今のクルマと較べたら快適性は一歩も二歩も譲ったし、ある種の危うさすらもっていた。だが、その代わり刺激的で存在感があり、1台1台の“キャラ”がしっかり立っていた。時代考証的に筆者もすべてのクルマを自分で運転した訳ではないが、反対に、乗らずとも道を歩いているときにすれ違っただけでも、エンジン音や排気のニオイ、そしてスタイルが目や脳内に焼き付き、いまだに印象深いクルマは今でも多数ある。とくにただの軽自動車ではない、スペシャルティカーの分野にも進出したクルマたちには、子ども心ながら気持ちがときめき、“運転してみたい”と思わされた。
ホンダZ
その代表というと、まず挙がるのがホンダZだ。1970年10月、大阪万博が開催されたその秋に登場したこのクルマは、ベース車がNIIIからライフにモデルチェンジされた際、それに併せてホイールベースを変えながらマイナーチェンジを実施。さらに登場からおよそ2年1カ月後の1972年11月になると、何とクーペからハードトップへと、ボディの大改造も受けている。“水中メガネ”と呼ばれたリヤのガラスハッチの枠(当初は黒、後期型でボディ色もあった)はデザイン上のアクセントで、当初はリヤに引き出し式のスペアタイヤ格納スペースを持っていた。エンジンも当初の空冷から、マイナーチェンジを機に水冷に変更されている。
ダイハツ・フェローMAX
1971年8月、ダイハツ・フェローMAXに追加されたハードトップも高級感を打ち出したモデル。ベースの2ドアは車名のとおりFFレイアウトを採り最大限の室内空間を実現したモデルで、じつは4ドアよりも先に登場。 2ドアの軽自動車初となったハードトップのおおらかなスタイリングは、2ドアより全高が55mmも低い1255mmとしたことで、スポーティな雰囲気も併せ持っていた。当時の流行りだったレザートップや、ディスクブレーキ(前)、ラジアルタイヤなどを装備したグレードも用意。新規格の550ccエンジンが搭載される前までラインアップしていた。
三菱ミニカ・スキッパー
そのほかに、三菱ミニカに設定されたスポーティなミニカ・スキッパーも忘れられない。同車は1969年の東京モーターショーに“ミニカクーペ”の名で登場後、1971年5月に発売。フロントグリルの意匠などを変えて市販化されたクルマだった。 ベースのミニカは同年に“ミニカ70”として発売されており、クリーンなスタイリングが特徴だった。ファストバックに仕上げたボディ後半のデザインが見せ場で、ガラスハッチと、裁ち落としたリヤエンドには後方視覚を確保するサブウインドウ(スクープドウインドウと呼び、日本車初採用だった)が設けられていた。搭載エンジンは水冷2気筒で、当初の2ストロークから4ストロークに変更されていた。ツインキャブ38ps仕様のGTなどを設定。
スズキ・フロンテクーペ
さてもう1台、日本の軽スペシャルティカーの草分けとも言えるのがスズキ・フロンテクーペだ。登場は今回取り上げた4モデルのなかでは最後の1971年9月。当時のフロンテ71をベースに、有名な話ではあるがG・ジウジアーロのデザインをベースに仕上げられたスタイリングが特徴だ。
全高は1200mmと異例の低さで、登場時の広報資料にはライバル車(ミニカスキッパー:1275mm、フェローマックスハードトップ:1255mmまたは1245mm、ホンダZ:1275mm)の数値を掲げ、その低さをアピールしている。
2名乗車(後に2+2も設定)、3気筒の水冷2ストロークエンジンをリヤに搭載とまさしくスポーツカーさながらの成り立ちで、0→400発進加速19.47秒、120km/hで巡航可能と、これも広報資料にある記述である。サスペンションは4輪独立で50km/h時、60Rのロール角は2°46’としている。とにかく着座位置が低く、シートに収まってみると自分のつま先はフロントバンパーに届くのではないか!? といったコンパクトさで、友人と連れ立って夜の山道をシュンシュンと走りまわった記憶がある。 世の中と人の気持ちに余裕が生まれて、またこういう時代のようなチャーミングでスペシャルティな軽が生まれてきてほしい……この原稿を書きながら資料に目を通していて、願望を込めてそんな風に思った。