肩に力が入り13位でフィニッシュ
8時30分からの公式予選は、前日に降った雨の影響で一部が濡れた状態で始まったが、基本的にはドライ路面でのタイムアタック合戦となった。ポールポジションは下野が2分00秒210で獲得。小松は2分02秒101で10番手につけた。デビュー戦としては、まずまずの結果と言っていいだろう。
ところがこの日の富士は、昼過ぎから天候が急変。降り出した雨が勢いを増すなか、少し遅れて12時36分にスタートした12ラップの決勝レースは、まさに生き残り合戦になった。
小松はまずフォーメーションラップ中にスピンして隊列への復帰が遅れてしまい、レース後に訓戒処分を受けた。再スタートして10番グリッドからスタートできたのは不幸中の幸いだったが、その後は長い直線から1コーナーに進入する際のブレーキングにことごとく失敗。
オーバーランやスピンを繰り返して、せっかくほかのセクションで少しリカバリーした分をロス。さらに13コーナーのスピンからの再スタートに手間取ってラップダウン。完走した13台中の最下位という結果に終わってしまった。
ちなみに優勝は翁長、2位は辻本でチャンピオンに大きく前進。3位は斎藤愛未で、予選トップの下野は反則スタートのペナルティが響いて追い上げるも4位まで。藤島は9位で、猪爪はわずか1周でレースを終えている。
リケジョはなぜVITAに参戦したのか? 直撃インタビュー
レース後の小松は意外にもサバサバした表情で、インタビューに応じてくれた。「今日は雨、VITA、富士という3つの組み合わせに完敗でした。もしこの3つのうち、VITAじゃなくてロードスターだったら、勝負になったと思いますよ」と、これも淡々と語った。 じつは彼女の当初の予定では、8月8日にツインリンクもてぎでデビュー戦を戦ったあと、9月下旬から富士で練習を重ねて、10月中旬に組まれていたKYOJO第3戦に参戦する計画だったそう。ところが日程変更でこのKYOJO第3戦が、オリンピック終了後に9月24日から営業を再開したばかりの週末にリスケジュール。つまり、わずか2日間の練習だけで、本番を迎えてしまったのだという。
さらにこのVITA用タイヤは、ウエットになるともともと薄いグリップ感が顕著になる傾向があるため、経験値の差が出やすくなりやすい。もちろん全員が同じタイヤなので言い訳は無用なのだが、ウエットの富士での練習がまったくできなかった小松が不利だったことは否めない。
実際に8月のもてぎでは17台中、予選5位&決勝9位でデビュー戦を完走しているし、今回の予選結果から見ても、ハーフウエットからドライでは十分以上に戦えることは証明したと思う。
小松にカテゴリーを変更した理由を直撃した。「ラブドライブで戦っている間は充実していました。今でも感謝しています。でも昨年、NATSさんのチームで優勝を争うレベルになると、自分のスキルがまだまだ足りないと痛感させられました。ただS耐マシンは自分ひとりのものじゃないし、実際問題として走行時間が限られてしまいます。もう一度、S耐に戻ったときにチームに貢献できるためにも、別のカテゴリーで鍛えようと思いました」とのことだった。
そのために選んだマシンがVITA。レーシングドライバーとしても活躍する加藤正将さんが運営している、MARS RACING FACTORYのレンタルマシンだ。
コーチも務めている加藤さんは「小松さんはクルマの動きについて理解が早くて、成長していますよ。今日は条件的に初めてのKYOJO-CUP、富士、そして雨の決勝といった初物づくしでしたし、無線の代わりにレギュレーションで認められている、携帯電話もあまり通信環境が良くなく、細かいアドバイスも届きにくかったのが残念です。今後に期待してください」とコメントした。
当面はこのマシンで、FCR-VITA(KYOJOと同じ週末に開催され、こちらは男女問わず参戦可能)とKYOJOにダブルエントリーを予定する小松。まずは12月の今季のKYOJO最終戦で「最低でも入賞!」、さらに来シーズンも継続の予定で「来年は勝ちますよ!」という目標を語ってくれた。