数は少なくとも個性的なモデルが揃う!
コンパクトカーというジャンルは今やすっかり定着したとはいえ、質や装備、デザイン重視の存在となっている。そのため、いわゆる1980年代から1990年代あたりにヒットしたホットハッチというのはかなり少なくなっている。そもそもスポーツカー受難の時代だけに致し方ないとはいえ、寂しい気はする。なかでも日産は、モデル数がかなり少ない。
その理由は、1960年代までは日産、そしてプリンスがそこそこのサイズのセダンなどを中心にラインアップしてきて、小型車はあまり手掛けてこなかったというのは関係しているだろう。今のイメージだと、ミディアムクラス以上が中心といったところだ。このあたりは、軽自動車や小型車を中心に発展してきたホンダとは対象的である。
もちろんまったくないわけではなく、少ない分、キラリと光るものを持ったモデルが多かったりするのは日産らしいと言っていいかもしれない。今回は日産のスポーツハッチたちを振り返ってみた。
チェリーX-1 R
正確には3ドアクーペではあるが、プレーンバックと呼ばれた独特のスタイルはハッチバック的だし、日産初のFFというのも同様だ。先行して発売されていたX1をベースにして1973年に追加登場したのがX-1 Rで、ツインキャブ、オーバーフェンダー、前輪ディスクブレーキなどに加えて、サスペンションも強化。当時としては豪華装備であるラジアルタイヤまで採用していた、まさに別格の存在である。快適装備はオプションという、GT-R的な骨太さも持ち合わせていた。
パルサー GTI-R
1978年に登場したパルサーもハッチバックをラインアップしていたが、ホットハッチ的というよりもヨーロッパの雰囲気を醸し出していて、せいぜいスポーティ程度という印象だった。そこに1990年、4代目で突如登場したのがGTI-Rだ。
当時、日産が直4のメインとしていたSR20型にターボを装着しつつ、4連スロットルなどでハイチューン化し230psを発揮した。注目すべき点はこれだけでなく、伝説のブルーバードSSS-R譲りのフルタイム4WD、アテーサも搭載していた。ターボと4WDの組み合わせ、そして大ぶりのバルジが付くボンネットなど別格の存在で、GT-Rの弟分的な存在でもあった。WRCへの参戦を前提としていたが、戦歴は今ひとつ。さらに市販車でも熱に対する弱さが露呈するなど、評価は芳しくなかった。