クルマさえあればモテた!? バブル時代の自動車文化を振り返る
遡ること約30年前、日本は「バブル景気」に踊らされイケイケの時代を迎えていた。バブルと呼ばれた期間は1986年の12月から1991年の2月とされ、バブル景気の恩恵に与れたのは現在の50歳以上の人々ということになる。今となっては懐かし思い出であり、若い世代には「負の遺産」として語り継がれる黒歴史だが、バブル景気によって日本の自動車文化も大きな頂点を迎えたことは確かである。
名刺代わりに自慢の愛車で女子大生をナンパ!
当時、若者たちの間には「クルマ=アイデンティティ」という公式が成立し、顔面偏差値が多少低くとも女性ウケするクルマに乗っていれば通用する時代でもあった。そのため、若者たちはカッコいいクルマ、見栄えのするクルマを求めることになる。日本の自動車メーカーも若者向けのクルマを数多くリリースし、それでも物足りないリッチ層は輸入車へと目を向けた。
ヤンエグたちは国産ハイソカーから輸入車へ愛車をランクアップ!
バブル景気に浮かれていた時代、若者たちは日産シルビア(S13)や180SX、ホンダ・プレリュード、トヨタ・セリカなどの「デートカー」と呼ばれる2ドアクーペを愛車とし、さらにモテ度の高さを追求する層はトヨタ・ソアラや日産シーマなどの「ハイソカー」へと手を伸ばした。
アッシーくん&メッシーくんが増殖! 売り手市場で女性たちはバブルを満喫
閑話休題。当時、デートカーを手に入れた若者たちは週末の六本木だけでなく、トム・クルーズ主演の映画「ハスラー2」のヒットにより東京近郊(神奈川/千葉/埼玉/茨城)に続々と誕生した「プールバー」が地元のデートスポットとなった。さらに、夏休みには清里や軽井沢のペンション、冬は映画「私をスキーに連れてって」の主人公を目指して、カップルたちは苗場プリンスを目指したのである。
ある地方では駅のローターリーにデートカーが並び、女子たちがクルマのランク査定と顔面偏差値をチェックしてナンパの交渉を受ける『回転寿司方式』も発生。ナンパの成功率は、デートカーの女子ウケ度が大きく影響したのである。
バブルの終焉を迎えるとそれまで人気だった2ドアクーペは凋落……
1990年代の中盤、バブル崩壊とともに「デートカー」というカテゴリーは消滅し、次々と日本市場から姿を消した。悲しいことだが当時の若者たちを熱狂させたプレリュードやシルビア、セリカという名前は過去の遺産になっている(※編集部注:ネオクラ旧車人気で中古車価格は高騰)。