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メルセデス・ベンツのハンパない革命児! Cクラスの源流「190E」の偉大過ぎる足跡を振り返る

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TEXT: 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)  PHOTO: ダイムラーAG/ウエスタン自動車製作カタログ/妻谷コレクション

日本でも富裕層を中心に大ヒットする

 日本の販売ターゲットはまずメルセデス・ベンツオーナーのセカンドカー、奥さま用、女医およびヤングファミリー、シニアドライバー、そしてAMGの本格スポーティセダン愛好家と多彩で人気があった。

190Eのリヤビュー

 筆者が販売したなかではとくに、女性のお客さまが多かった。お客さま曰く『私はメルセデス・ベンツに乗せてもらっているのよ』との名言をいただいた。『だって、私がメルセデス・ベンツを運転するのではなく、メルセデス・ベンツが自然と私を乗せてくれるから、とっても楽なのよ!』と。

 日本のターゲットに合わせた販売バリエーションは、じつに豊富であった。1984年10月に日本に初導入された190Eに続き(115ps)、1986年には前後スポイラー、サイドスカートなど精悍なエアロパーツで全身をかためたレーシング・スポーツセダン190E 2.3-16を発売(175ps)。シートは解剖学的に正しい設計でサイドサポートに優れた深いバケットタイプを採用した。シート中央部はチェックの布張りでサイドはレザーが標準装備となる。

190E 2.3-16の走り

 とくに、この190E 2.3-16は1983年8月2日、南イタリアのナルド・サーキットで5万kmを約8日間かけて走破し平均速度247.939km/hの世界記録を樹立。これはギヤ比の変更とエアロパーツの追加を施しただけという、市販車そのものの性能だった。

ナルドでの記録

 また、同1986年には5気筒カプセルディーゼルエンジンを搭載した190D 2.5を発売(90ps)。翌1987年には6気筒エンジンを搭載した190E 2.6を発売(165ps)、さらに190Eに装備を簡素化したアンファングと高級仕様のコンプレットを発売する。

190D 2.5

 1988年にはマイナーチェンジ。ボディサイドにサッコプレート(プロテクトパネル)を装着し、前後バンパーもデザイン変更された。注目は1988年に2.3-16をDTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)に投入し、これに伴い2.3-16は排気量を拡大、エアロパーツを装着したレーシング・スポーツセダン2.5-16が導入されたこと(200ps)。

マイナーチェンジした190E

 1989年に190 2.6に右ハンドルを用意。さらに190Eと190E 2.6にスポーツラインが加わり、スポーツシートやリヤスポイラーを装備していた。1990年に190E 2.3を発売(135ps、右ハンドルのみ)し、続けて190D 2.5ターボを発売(125ps、左ハンドルのみ)され、190D 2.5は右ハンドルのみとなった。1992年にはエアバッグやパワーシートが全車標準装備されている。

190E 2.5-16エボリューションモデルでDTMに参戦

 190E 2.5-16エボリューションは、DTM(ドイツツーリングカー選手権)参戦ベースマシンだ。1989年の190E 2.5-16エボリューションIとして1990年途中から登場し、よりエアロダイナミック性能を高めた190E 2.5-16エボリューションIIの2モデルがある。

エボリューションのイメージ

 両車はDTMのグループAツーリングカーレース用ホモロゲーションを取得する為の規定台数として、それぞれ500台ずつ生産された。コスワースによるエンジンは直4DOHCで2463cc。エボリューション1は231ps、エボリューションIIでは235psを発揮した。日本への正規輸入された個体は190E 2.5-16エボリューションIが3台、190E 2.5-16エボリューションIIは50台と言われている。

エボリューションのエンブレム

 AMGは当時まだ独立した組織でありながら、70年代からメルセデス・ベンツをチューニングしツーリングカーレースに参戦。実績を重ねていたことを認め、メルセデス・ベンツはレースカーの開発を依頼した。DTMに出場した車両で最終的に375ps以上を発揮。DTMでメルセデスAMGが1980年代末~1990年代初めに、190E 2.5-16エボリューションIIで圧勝したこの50勝は金字塔で伝説になっている。

190EのDTMでの活躍

190Eは初代CクラスW202/S202へと発展

 190Eの後継車として、1993年6月に当時のメルセデス・ベンツ社は、初めて「Cクラス」と呼ばれた新しい小型モデルを発表した。このCの意味は、Eクラスの下に位置する「コンパクト」のCだ。

初のCクラス(W202)

 W202はセダン、S202はステーションワゴンのコードネーム。5ナンバー枠にとらわれない全長×4495mm、全幅×1720mm、全高×1420mmというボディサイズ(1996年)。デザイナーはオリビエ・ブーレイで、そのスタイルの特徴は上下に伸びた「おむすび形」のテールライトだ。このため、トランクリッドがバンパーレベルから開閉できるようになった。

 AMGとの初の共同開発車・C36やステーションワゴンが加わったのもこのW202型からだ。1993年導入当時の価格はC220が510万円。前身の190Eに比べて実用性をより高め、室内スペースを改善、能動的/受動的安全性の強化など、7年間の開発期間を経て世界的な販売不振にあえぐ市場に投入された。

 とくに、この初代Cクラスは「市場と顧客の動向」に敏感であると謳ったメルセデス・ベンツの新しい哲学に基づいたモデル。つまり、メルセデス・ベンツ史上初めて、「more value but more expensive」=「価値はより高く、しかし価格はより高くなく」を合言葉として、まったく新しいシリーズのクルマとなるCクラスが開発された。結果、この初代Cクラスは、当時の新型モデルにもかかわらず、その前身モデルである190と同じ価格帯に留まった。

W202の走り

 最近では社会的価値が世界的に大きく変化してきている。1980年代は周囲に対して自分はこれだけ成功しそれを誇示したい、クルマもどんなにコストがかかっても、高くていいものが欲しいという傾向があった。しかし、ただそういう物が持っている価値以上の金額を払ってまで、という意識はなくなってきている。

 とくに環境保護の意識が非常に高まり、脱炭素を踏まえ自動車を取り巻く環境やクルマを所有するのではなく、モビリティサービスへと大きく変化しているのだ。日本では「ベンツ」と呼ばれた昔、高級イメージが強かった。だが、今日ではメルセデスと呼ばれるファミリーカーや電気自動車・EQシリーズを揃え、現モデルラインアップは一段と豊富になった。

 そこには昔のような格差はなく、多彩なファションを着こなすライフスタイルに応じたモデルを導入している。とくに、メルセデス・ベンツの革命児・190Eこそは、現在に続く歴代Cクラス成功の礎であった。そこで、ニューCクラスが小さい兄貴分190Eと比べ、どれだけ成長していくのか、大きな期待と関心を持っても見守ろうと思う。

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  • 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)
  • 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)
  • 1949年生まれで幼少の頃から車に興味を持ち、40年間に亘りヤナセで販売促進・営業管理・教育訓練に従事。特にメルセデス・ベンツ輸入販売促進企画やセールスの経験を生かし、メーカーに基づいた日本版のカタログや販売教育資料等を制作。またメルセデス・ベンツの安全性を解説する独自の講演会も実施。趣味はクラシックカー、プラモデル、ドイツ語翻訳。現在は大阪日独協会会員。
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