ソ連のクルマを見られるのは旧共産圏の醍醐味!
今ではロシアのワズ(UAZ)・ハンターや、ラーダ・ニーヴァといったクルマが日本にも少数ながら輸入されていてアウトドア志向のオーナーに支持されている。だが、ソ連が健在だった時代の大衆車はさすがに、日本で見る機会はほぼない。
旧ソ連に長らく属していたラトビアには、当然そんな旧車も多数生息している。この日のイベントでも異彩を放っていたのがVAZ(ヴァース、「ヴォルガ自動車工場」の略)の3台だ。
冷戦時代、提携していたフィアットの124をベースにして1970年に発売された「VAZ 2101」は、それ以降ソ連内で独自の進化をして2102、2103、2104……と世代を重ねていった。このシリーズはソ連では「ジグリ」の名で親しまれ、西側におけるフォルクスワーゲンのような位置づけの国民車だった。
ジグリはコスパに優れたクルマとして、西側諸国にも「ラーダ」というブランド名で輸出されていた。それゆえ現在もアフトヴァース(AvtoVAZ)がラーダ・ブランドでクルマを製造販売しているわけだ。
ゼッケンナンバー4はVAZ 2106。ジグリシリーズに1600ccエンジンを搭載して1976年に追加されたモデルで、この個体は最初期の1976年式。ルーフにはラトビアの国旗をはためかせている。
ゼッケン5もVAZ 2106で、こちらは1978年式。2106はシリーズ最大のヒット作となり、西側へは「ラーダ1600」として輸出されていた。なんとソ連崩壊後の2006年まで、30年にわたり製造され続けたロングセラーなのだ。
また、ほとんど同じに見えるがゼッケンナンバー6は1992年式の「VAZ 2105」。数字は2106より若いが、生産開始は1980年と後発になる。元祖の2101のメカニズムをほぼそのまま引き継いで、顔だけ丸目から角目に変えた廉価モデルだ。こちらも2010年まで生き延び、「ロシアで一番チープなクルマ」の称号を欲しいままにした。そんな2105をオーバーフェンダー化してレースをするのも、粋というものだ。
さらに同じく旧ソ連時代のクルマで、1974式モスクヴィッチ412も参加していた。先行するモスクヴィッチ408のエンジンを1500ccに強化してフロントを丸目から角目にし、1967年に登場したのが412で、1975年にこの名前では生産終了となっている。しかし同じソ連のIzh(イジェフスク機械製作工場)では、モスクヴィッチ412を元にしたクルマが2001年まで製造されていた。
ほかにも、オペル・アスコナやサーブ96、VWサンタナなど、ヨーロッパのイベントならではのヤングタイマー車の雄姿を画像ギャラリーにてご覧いただきたい。
日本でも近年、ヒストリックカーの走行イベントが定着してきた。次なるステップとして、ヤングタイマーに絞ったイベントも活性化すると、さらに面白くなるのではないだろうか。