重度障がい者がクラシックカーをドライブするには
人生のある時期までは「健常者」としてカーライフを楽しんでいても、あるとき、病気や事故などで手足が不自由になるのは、誰にでも起こりうることだ。今はさまざまな運転補助装置が市販されていて、障がいの程度や部位に応じてクルマの運転をアシストしてくれる時代だ。
とはいえドライバーの身体の状況というのはきわめて多彩だから、既存の補助装置ではカバーしきれないケースもまだまだ多い。しかも現代の量産車ではなく、趣味性の高いクラシックカーに乗るとなると、そこに待ち受ける困難たるや計り知れない。
小島一朗さんは大病を患って一度は「一生寝たきり」を宣告されながらも、地獄のようなリハビリを乗り越え、かつての愛車である356ロードスターに乗るために自ら運転補助装置を開発。ついに公道ドライブへと返り咲いた情熱の人だ。彼の情熱と工夫の道のりとは……。
一生寝たきりと宣告されても、再びクルマを運転したい!
現在54歳の小島一朗さんは、20歳のころから空冷フォルクスワーゲン・タイプ1、ビートルに乗り、その後VWのパワートレインを用いたインターメカニカ社製のポルシェ356ロードスター・レプリカを愛車としていた、生粋のカーガイだ。
ところが2009年6月、細菌性心内膜炎とそこから併発した脳幹梗塞で倒れ、生死の境をさまようことになる。奇跡的に生還できたが、身体の8割が麻痺して右半身は不随、右目の視力も失って、重度身体障がい者となった。医師からは、24時間介護が必要な一生寝たきりの生活になると宣告されたそうだ。
最初の3カ月間は瞬きしかできない状態でICU暮らし、見えるのは天井だけという状況。そんななか、それでも小島さんは決意した。
「必ず這い上がってみせる! 必ずクルマを運転してみせる!」
旧車生活への思いを原動力に猛特訓のリハビリを続け、1年半後には電動車いすで動けるようになった。これには医師や看護師も驚いたという。そしてバリアフリー環境が整っていてリハビリ施設も併設している団地に引っ越して、ヘルパーさんの手を借りながらのひとり暮らしをスタートしたのだった。
また、リハビリの過程で出会った油絵が小島さんの新たなライフワークとなり、左手だけで油絵を描き続けて、現在では年に1~2回のペースで個展を開いている(ご興味のある方は「ギャラリーコジ」で検索を)。
まずはビートルで公道への復帰を模索
家で絵を描くだけの暮らしだと、どうしてもストレスが溜まってしまう。まだ、どうすればクルマに乗れるのかわからないなかだったが、小島さんは1968年式VWビートルのスポルトマチック(クラッチペダル無しで操作可能)を手に入れた。
そこで小島さんは団地の地下駐車場で毎日朝晩、電動車いすからの乗り降りの練習を始めた。最初は1回の乗降に1時間半かかっていたそうだが、気分転換にもなるし路上復帰へのモチベーションを上げてくれるし、エンジンをかけるだけでも嬉しい。根気よく続けた結果、ほんの数分で乗降できるまでになった。
問題は、わずかに動かせる左手と左足で、いかにクルマを運転できるようにするか? ステアリング操作は電動パワステと旋回グリップを取り付けるとして、アクセルとブレーキを、左足のささやかな筋力だけでどうコントロールするか?
右半身が不随の人のための運転補助として、アクセルペダルをブレーキペダルの左側に移設して、左足だけでアクセルペダルとブレーキペダルを踏めるようにする通称「左アクセル」という手法も存在するが、小島さんのケースではこれも使えそうになかった。
だったら自分専用の装置を作るしかない! ということで、左足の前後運動だけでアクセル/ブレーキを操作するべく、木製のサンプルを高齢のご両親と一緒に作りながら試行錯誤を重ねていった。