開催見送りだからこそ振り返りたい「ニスモフェスティバル」
モータースポーツファンだけでなく、幅広いクルマ好きにもモータースポーツシーズンオフのサンクスイベントとして好評を博してきたNISMO Festival(ニスモフェスティバル)は、1997年に第1回大会が開催されています。
その後、2002年に始まったトヨタ・モーター・スポーツ・フェスティバル(2011年からはトヨタ・ガズー・レーシング・フェスティバルとして開催)や、2008年に始まったホンダ・レーシング・サンクス・デーとともに、モータースポーツのシーズン終了を告げる風物詩として定着していましす。ですが、新型コロナウィルス感染拡大防止の観点から、今年もまた開催見送りとなりました。
そのNISMO Festivalでは毎回のように、日産の傑作車をレストアしてお披露目するのが恒例となっていました。今回は、日産がレストアを進めてNISMO Festivalで注目されたクルマを振り返ります。
手作りで始まったイベントはレストアが完成したクルマの発表の場に
1997年に初開催されたNISMO FestivalはNISMOの若手社員がプロジェクトチームを作り、お客さま感謝デーとして企画・運営するという“手作り”のイベントでした。その一方で出演者の顔触れは豪華のひと言。長谷見昌弘さんと星野一義さんという、日産を代表するおふたりを筆頭に、鈴木亜久里さんや近藤真彦さんなどがレーシングマシンも含めてのドライビングから、特設ステージでのトークまでフル稼働状態となっていました。 そんなNISMO Festivalですが走行プログラムとして、同年のル・マン24時間レースを戦った日産R390や全日本GT選手権に参戦していたGT500仕様のR34スカイラインGT-Rなどの現役マシンに加えて、“ハコスカ”の愛称で知られるスカイラインGT-R HT(KPGC10)などのヒストリックマシンも混走する模擬レースを開催。これが大きな反響を呼び、翌年の第2回大会からメインコンテンツのひとつとなる経緯がありました。
その第2回大会からは、日産が保管している古いレーシングカーをレストアし、NISMO Festivalで走らせるという試みがスタートしています。最初のレストアカーとなったのは、1966年の日本グランプリ優勝車プリンスR380A-1。言うまでもなく、まだ日産自動車に吸収合併される前のプリンス自動車工業が開発した、当時のFIAによるグループ6カテゴリーに属する国産として初の本格的なレーシングカーでした。
1年をかけてレストアが終了、NISMO Festivalに姿を現すと、古くからのレースファンも大喜びすることに。そしてこれもまた根強い人気を誇る日産のグループCカーなども参加したカテゴリー混走模擬レースとなり、エキサイティングで大盛況でした。
ライバルだったトヨタからもエール! さらにレース未出走の“幻のマシン”もレストア
初開催からずっと富士スピードウェイで開催されてきたNISMO Festivalですが、富士スピードウェイが大幅改修された2003年と2004年には、岡山国際サーキットで開催されることになりました。
その2年目となった2004年には、V12エンジンを搭載して1969年日本グランプリで勝ったNISSAN R382がレストアされて登場。
じつはそれ以前にも日産が保管していた2台のR382を使って、1台のR382のレストアが完了。優勝車のレプリカとしてお披露目されていましたが、1969年の日本グランプリで優勝したマシン自体は、レース後に北米で戦われていたCan-Amシリーズ挑戦の可能性を探るべく、アメリカへと送られていて、長い間行方不明となっていました。 その行方不明となっていた個体が発見され、それを国内に戻してのレストアでした。1969年日本グランプリで優勝したマシンとあって、サーキットを埋めた観客からも、大きな声援が巻き起こることになりました。
2005年からNISMO Festivalは、新装なった富士スピードウェイにふたたび舞台を移しての開催となりました。この年にはR380-Ⅱ、R381、R382のトリオが勢ぞろいすることになりましたが、富士スピードウェイを傘下に収めたトヨタが、1969年の日本グランプリ用に投入したトヨタ7(NAの5L V8搭載)を登場させるサプライズも。
さらに翌2006年には、1970年の日本グランプリに向けて開発されていたR383がレストアされて登場。当時、公害対策に専念するとして、日産が1970年の日本グランプリへの参戦中止を発表。トヨタも参戦中止を発表し、1970年の日本グランプリそのものが中止に追い込まれてしまいました。Can-Am参戦を新たな目標にして開発が続けられていたR383でしたが、結局はプロジェクトが中止となり、実戦レースを戦うことなく倉庫で眠り続けていました。ですが、NISMO Festivalの檜舞台に向けてレストアが進み、“幻のマシン”も実走行で喝采を浴びました。