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ギリギリ「手に入る贅沢」だった! 元オーナーが語る「2代目ソアラ」の凄まじさとは

かつて存在した「デートカーとしてのクーペ」市場

 今では信じられないことだが、平成ごく初期のバブル崩壊あたりまでは日本車に「クーペのデートカー」というジャンルがあった。その代表は2、3代目のホンダ・プレリュードや日産シルビア(S13)で、その横綱的存在がトヨタの初代、2代目のソアラだった。という背景もあり、ここではオーナーだったこともある筆者が2代目ソアラというクルマを振り返ってみたい。

まさに「未体験ゾーン」だった高性能

 まず、初代から3代目までのソアラのポジションは、「トヨタが市販化できる技術をすべて盛り込んだイメージリーダーカー」である。とくに1981年登場の初代ソアラは、当時日本車が1970年代のオイルショックや排ガス規制強化の後遺症による動力性能の低下から立ち直り始めていた時代に、当時日本最強の2.8L直6DOHCエンジンの搭載や気品ある内外装などを理由に、高価なクルマながら成功を収めた。 1986年登場の2代目ソアラも初代モデルのキープコンセプトで開発された。しかしキープコンセプトながら2代目ソアラも日本最強の3L直6DOHCターボの搭載やエアサスを採用。また初代モデルからデジタルメーターを継承したラグジュアリーなインテリア、気品あるエクステリアに加え、世界初となる新技術を数え切れないほど採用した。 さらに当時は3ナンバー車の自動車税が非常に高額だったため、2代目ソアラは3Lターボをフラッグシップにしつつ、普及モデルとなる2L直6もツインターボを中心にラインアップした。結果、2代目ソアラはバブルという時代背景もあり、約5年間のモデルサイクルで、平均300万円を軽く超える高額車ながら約14万台以上(月2000台以上)が売れた大ヒット車となった。 そんなクルマだっただけに、物心ついたときから頭のなかはほとんどクルマのことだけだった現在41歳の筆者にとって、2代目ソアラは「速さ、豪華さといった当時のクルマに対する夢が詰まったTheクルマ」という存在だった。そのため筆者は2代目ソアラが現役だったころから、自分のものにすることが夢だった。

ソアラは実際に所有するとどんなクルマだったのか

 ときは流れて筆者は確か20歳だった2000年に、2代目ソアラを自分のものにした。当時は現在ネオクラシックとなっているほかの日本車同様、2代目ソアラもおおよそ10年選手だったこともあり気軽に買える値段で、確か個人売買で10万円だったと記憶している。 私の2代目ソアラは200psの中期型2.0GTツインターボLのMTで、クルマが来たばかりのころは「夢が叶った(ずいぶん安い夢だが)」という満足だけだった。

 思い出すと2代目ソアラは当時で10年選手だったが、筆者の幼少期のイメージそのままだった。また2代目ソアラに乗っている時間は、インテリアなどすべてが妙に落ち着けるクルマだったこともあり、至福の時間だった。 そのため2代目ソアラには当時はヒマだったのに加え、ハイオクガソリンが100円だったこともあり、燃費は8km/Lだったが、気がつくと1年で2万kmも走っていた。これは、筆者の20台近い車歴のなかで、所有期間に対し一番乗ったクルマだった。そんな2代目ソアラは思い入れも含め筆者の好みにハマったクルマだっただけに、自分のものにできたことはいい思い出になっている。

今後こんな贅沢な国産クーペは出てこない?

 今後2代目ソアラのような、5ナンバーサイズはオーバーにしても手ごろなサイズで、価格は500万円くらいまでとなる現実的な価格のラグジュアリーな2ドアクーペが登場することはまずないだろう。

 しかし、この点は必ずしも嘆くことではなく、平成初期までのソアラやマーク2三兄弟のポジション、すなわち「手が届く贅沢」のようなコンセプトが形こそ違うにせよ、ハリアーやアルファード、ランドクルーザープラドといったトヨタ車に引き継がれていることは、ソアラファンとして喜ぶべきことと感じている。

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