意欲的だったが残念ながらヒットモデルになれなかったクルマたち
クルマの開発は難しい。クルマは開発をするのに時間もお金もかかるし、一度発売すると数年間は販売しなければ開発費が回収できない。大ヒットモデルのフルモデルチェンジはいつもリスクが潜んでいるし、人気ジャンルのあと追いモデルを発売しても売れるとは限らない。レッドオーシャンに挑戦するのか? 自分たちがブルーオーシャンを開拓するのか?
企画の段階から巨額な資金が必要なクルマの開発は、開発陣にとって胃の痛い毎日が続くに違いない。そこで今回は意欲的だけどヒットモデルとなれなかった。そんなモデルを紹介しよう。第一弾はトヨタ編。
トヨタ・プログレ:陰りを見せていたFRセダンを復権するために
最初に紹介するのはトヨタのFRセダン。20世紀の終わりごろ、トヨタの4ドアセダンは岐路に立たされていた。バブル期に絶大な人気を誇ったマーク2、チェイサー、クレスタの人気に陰りが見えてテコ入れが必要となっていた。
FFモデルは現在も定番のカムリに加えて、1994年に背の高いセダンであるビスタ・アルデオ、北米で人気だったセプターの後継となるカムリ・グラシアを1996年に発売した。だが、すでにミニバン人気が始まっていた日本ではマーケットの主流とはならず、このままではトヨタのドル箱であった今でいうDセグメントFRセダンの先行きが怪しい。そこでトヨタが生み出したのが、小さな高級車であるプログレだ。 1998年5月に発売されたプログレは「新世紀の高級車」を念頭に開発されたモデルで、従来日本が苦手とされた「小さな高級セダン」として登場した。バブル期は「大きいことは良いことだ」という風潮があったが、そこから一転。 エンジンこそ2.5L(1JZ-GE)と3.0L(2 JZ-GE)の直6のみであったが、ボディサイズは全長4500×全幅1700×全高1435mm、ホイールベースは2780mmで日本の多くの細い道でも困らない、絶妙なサイズを実現していた。ホイールベースは上級車と変わらない長いものながら、FRゆえ前輪のステアリングの切れ角は大きくて最小回転半径は5.1mと小回りが利き、取り回し性も抜群だった。 インテリアも小さな高級車に恥じない、欧州車のようなアナログ時計やウォールナット・パッケージ車は本革や本木目が多数用いられ、ターンシグナル・レバーとワイパー・レバーにはなんとムク材から削り出した本木ノブを採用。上質な空間が演出されていた。 安全装備も充実しており、VSCは標準装備。先進のレーザークルーズ・コントロールや、世界初のカーテンシールドエアバッグを設定するなど、当時としては先進の装備が満載だった。日本の道路事情に最適な高級車として生み出されたのがプログレだろう。
トヨタ・アルテッツァ:新世代のスポーツセダンを標榜して登場
そして同年、1998年10月に登場したのがアルテッツアだ。こちらはスポーツセダンを掲げており、トヨタとして「操り走る、心地よさを堪能できる新世代のスポーツセダン」として発売している。 プログレをベースとしながらもホイールベースを110mmも短縮して、トレッドも前20mm後25mm拡大したモデル。ボディサイズは4400×1720×1410mm、ホイールベース2670mmと、見るからにスポーツセダンだ。 エンジンも定評ある直4(3S-GE)2.0Lと、同じく2.0Lの直6(1G-FE)を搭載して、直4には6速MTと5速AT、直6には4速AT(のちに6速MTを追加)を用意して、走りのFRとして登場した。コンパクトながらトランクルームもVDA方式で406Lを確保。 インテリアも電圧計、水温系、油圧計を備えてスポーツシートを採用。プログレとは違い黒基調のインテリアで、クルマのキャラクターを明確とした。 2001年にはアルテッツア(イタリア語で高貴という意味)にスポーツワゴンの5ドアモデルであるジータ(小旅行)を加え、バリエーションを強化。2.0Lに加えて3.0L直6(2JZ-GE)が設定されて4WD仕様も追加されたが、起爆剤とはならなかった。