半世紀以上前のクルマのポテンシャルをサーキットで解放せよ!
ヒストリックカーの楽しみ方にはたくさんのバリエーションがあり、ドライブすることはもちろん、自ら工具を手に整備を施す人もいる。さらにツワモノとなると、いたんだ機関や外装を修理・再生する「レストア」といわれる作業をする人もいるほどだ。
そうした楽しみ方のなかでも、愛車の限界域を味わえるスピード競技はまた格別だ。製造されてから半世紀以上を経た愛車と人馬一体となり、そのポテンシャルを引き出すのもまた、ヒストリックカー・レースの大きな醍醐味である。
安全対策を徹底した「JAF公認」のヒストリックカー・レース
そうしたヒストリックカー・レースは、国内でもいくつかの団体が主催し、ミニサーキットから国際サーキットまで、全国で楽しまれている。
今回紹介する「JCCA(日本クラシックカー協会)」の主催するヒストリックカー・レースは、筑波サーキットと富士スピードウェイにて年間3戦行われていて、JAFのレギュレーションに則った本格的なものだ。
JAFが公認した競技であるため、ほかのモータースポーツ同様にA級ライセンスが必要というだけでなく、安全面では、レーシングスーツやヘルメット、シートベルト他に至るまで、認可された装備品を用いて、その使用期限を厳守する必要がある。
安全燃料タンクの使用や、消火器の装着、さらにはその車種に見合った容量のタンクの装着義務など、多岐にわたる車両規則に準じたマシンに仕立てる必要があるのだ。
このJAF公認競技に対して、俗に「非公認レース」といわれるヒストリックカー・レースも近年盛んであるが、それはまたの機会に説明したい。
さて、10月17日に開催された「JCCA 2021筑波ミーティングエンデュランス」当日は、小雨まじりとなった筑波サーキットに、全国から色とりどりのレーシングマシンが集まった。一般的には悪コンディションに思うだろう。しかし、雨を制してこそ! という猛者ぞろいである。雨だからといってひるむエントラントはいないのだ。
まずは車検。パドックにはボディ下部まで確認できる車検場があり、車両規定をしっかり満たしているのかをチェック。もちろん、油脂類の滲みまで厳しく確認される。そしてドライバーズミーティングでは、この日の路面状況や気温といった情報を伝えるだけでなく、さざまな安全面での確認を行う。これに参加しないドライバーは走行できないのだ。
午前の部と午後の部でエントラントを入れ替えて「密」回避
この日は7つのレースと、ふたつの走行会というプログラム。まずは通しで予選を行い、その後に決勝レースというのが慣例である。だが、コロナ以降の感染対策として、4つのレースの予選と決勝を午前中に行い、午後に3つのレースを行うという2パート制となっている。午前と午後にエントラントを入れ替えることで、パドック内が「密」にならないようにとの配慮からだ。
この日最初のコースインは、14台のマシンがエントリーした「P+Sレース」の予選。「Pレース」とは「プロダクションカー」の意味で、サスペンションの改造のみが許されたノーマルに近い状態のマシンでのレースとなる。14台で争われ、ポルシェ911の浪川選手がポールポジションでのスタートから、最初にフィニッシュした。
また、この日は「Sクラス」へのエントリーが多いため、1965年までに生産されたチューニングカーの「S65-1クラス」と、同様に1968年前後製造となる「S68-1クラス」の混走となった。
続いて、28台エントリーともっとも台数の多かった「Sレース」は、チューニングカーによるもの。筑波サーキットで30台近くがフルグリッド、壮観である。
そして「ヒストリック・マスターレース」は、「ダンロップCR65」という往年のレーシングタイヤをコントロールタイヤとする、昨年から始まった新しいカテゴリー。徐々に台数を増やしている、これからが期待のクラスだ。ポールポジションから勢い良く1コーナーへ向かうのは大村選手のフェアレディ2000。
続いては、1970年代に「富士グランドチャンピオンレース(通称“GC”)」のサポートレースなどで、全国のチューナーや若手ドライバーがしのぎを削った「マイナーツーリングカー」によるレース。当時のドライバーや、現役レーシングドライバーも参加し、毎度見応えのあるレースを展開する。