格納時が見せ場だったリトラクタブルヘッドライトの変遷を振り返る
スーパーカーやスポーツカーの定義は、いまだ世界中で異論・反論の紛争中だと思うのだが、こと日本においてはリトラクタブルヘッドライト(以下、リトラ)は、ほかとは違う証として一時代を築いたクルマの装備だ。リトラは、ファミリーカーやデートカーとは違って、このクルマはスポーティであったり、最先端であったり、という個性や主張が込められたモデルが採用するアイテムだったと言える。 それは1970年代のスーパーカーブームのランボルギーニやフェラーリ、ロータスが採用していたことが理由で、当時のスーパーカーをパパラッチするカメラ小僧は、こぞってリトラのクルマを狙い撃ちした。なかでも人気だったのが欧州のスーパーカー勢と国産ではトヨタ2000GTだった。
年月を経てからはふつうの乗用車でも採用例は多くて、決して特別ではなくなったリトラだが、きっと開発陣はリトラでスペシャル性を加えたかったに違いない。
リトラは低いボネット位置と適切な照射範囲を両立させた名装備だった
リトラが生まれた理由は、かっこよい。そして空力面では車高が低ければ前面投影面積を減らせて空気抵抗で有利だから。ヘッドライトの位置が低く、ボンネットの先端が低くなればそれだけ走りも燃費が良くなる。しかしヘッドライト位置が低すぎると照射範囲が狭まるし、遠方からの視認性が悪くなることから低すぎてもダメとなる。そこで必要なときだけヘッドライトが法規制を満たす高い位置に出現する。これを両立したのがリトラなのだ。 とくにアメリカの規制でクルマのヘッドライトは丸形でなければとか、四角形ではならないとか、各国いろいろ法規制が変わった(違った)ことで、メーカーは紆余曲折。北米販売のトヨタ・カローラや日産シルビアが、海外では一時期リトラだったのはこの理由から。ちなみに180SXのフロントマスクは海外向けのものを日本に導入したものだ。
スーパーカーブームがリトラを後押し! 国産車ではトヨタ2000GTで初採用
リトラの起源は古く北米で生まれたのだが、多くの日本人が認識したのはフェラーリやランボルギーニとロータス・エラン、そしてトヨタ2000GTだろう。
1962年発売のロータス・エランは外国製スポーツカーが珍しい時代に、日本国内のサーキットで大活躍。漫画で一躍人気となった、1966年発売の初代ロータス・ヨーロッパ派とエラン派(あとミウラ派)に分かれて論争が起きたのも懐かしい。どれもスーパーカーあるいはスポーツカーなのは間違いないが、リトラという個性はエランにとってプラスのポイントだったに違いない。
また、日本初のスーパーカーとも言われるトヨタ2000GTは、映画「007」という現在でも大ヒットを続ける映画シリーズの主人公が操るマシンとしても使われ、主人公のジェームズ・ボンドが乗るクルマは「ボンドカー」と呼ばれるなど、長く語り継がれるほど。日本車がボンドカーに採用されたことは、戦後日本にとっていまだに誇れることに違いない。2000GTは世界的な名車として認められたのだ。
リトラを日本で広く認知させたRX-7は初代から3代目モデルで採用
そしてスポーツカー全盛のバブル期を迎える前夜とも言える70年代後半には、ポルシェ928とマツダRX-7(SA22)がリトラを採用してデビュー。928はなんとしても北米で販売台数を稼ぐために生まれた水冷V8エンジン搭載のGTマシンであり、911とのイメージをシンクロさせながらもフラッグシップとしての価値を訴求したモデルであった。
正確にはランボルギーニ・ミウラ同様のポップアップ式と呼ぶのが正しいのだが、リトラと同様の目的で採用。ちなみに1981年発売の3代目トヨタ・セリカ(A60)の角目もこのポップアップ式だ。
RX-7は初代(SA22)から3代目(FD3S)までリトラを続けたモデルで、日本を代表するリトラモデルの代表格と言える。後席は荷物用です、と割り切ったようなスポーツカーで、スポーツカーにはリトラが必要だと大きく認知させたモデルの一台と言える。ポルシェ928、RX-7ともに発売が1978年というのが面白い。