リトラがホンダ車の躍進を後押し! スペシャリティなブランドイメージを高めた
変わりどころではいすゞピアッツァもあった。コンセプトカーだった「アッソ・ディ・フィオ―リ」、巨匠ジョルジェット・ジウジアーロが手掛けたピアッツァのプロトタイプを見事なまでに市販化させたモデルにはセミリトラ式を採用。こちらは1981年発売で、2代目も丸目4灯のセミ・リトラを採用していた。そして1981年といえば、マツダ3代目コスモの角目4灯も個性的。
またホンダの躍進に繋がったのがリトラという考察もできる。ホンダは基幹車種であるシビックには用いなかったがバラードやアコード、プレリュードなどでリトラを採用。バラードはセミ・リトラもしくはパラレル・ライジング・ヘッドランプというのが正しいようだが、インテグラなどにもリトラを採用して、大いにブランドイメージを高めた。
このセミ・リトラはZ31型日産フェアレディZにも採用されていて、リトラを開けることなくパッシングができる便利装備として同車のアイコンとなっている。
走り屋漫画で一世を風靡したあのモデルにもリトラが採用された
そして近年でお馴染みのリトラモデルと言えばトヨタAE86スプリンター・トレノだろう。映画やテレビドラマ、漫画をはじめとして、さまざまなメディアで登場したクルマは多々あるが、やはりAE86抜きには語れない。とにかく速いマシンはリトラを印象付けてその地位を確固たるものとした。後継のAE92もリトラで個性を発揮したものの、マイナーチェンジでこれがリトラ? という残念なカタチに……。
もう片方の雄というべきユーノス・ロードスターは2代目からは固定式となってしまい、それが逆に初代ロードスターのアイコンとなっている。果たして初代ロードスターがリトラではなく2代目のNB型のスタイリングで登場していたら、ここまでの世界的な地位があったであろうか(マツダ・ロードスターは世界でもっとも売れた2ドアオープンカーとしてギネス記録を更新中)。初代のリトラの愛らしさは、マツダ・ロードスターが今日に至るまでの成功のきっかけのひとつだったと思う。
そして格好の良いリトラとそうではないリトラがあるのは人それぞれの感性による違いで、「リトラでなければスポーツカーではない!」なんて時代は、正しくは一度もなかったのかもしれない。例えば初代が縦置きエンジンのFF車という個性派だったトヨタ・カローラⅡ系は、2代目にリトラのモデルを設定したが1代限りで消え、パルサーEXAも2代続いたものの終焉を迎えている。
開閉機構が重量増の足枷となりハンドリングに悪影響及ぼす!?
現在では、リトラは突起物となるため市販することができない。歩行者保護の衝撃吸収ボンネットやエアバッグがある時代だから当然なのかもしれないが、もしかしたらメーカーの開発陣もそっと胸をなでおろしているかもしれない。
なぜなら、リトラは開閉するために重量がかさみ、じつは運動性能に関わる前端部分にあんな重たい開閉機構を備えれば、運動性能にネガな影響を与えないはずはない。
話によると、リトラをやめれば可動部分やワイヤーハーネス、室内のスイッチなどなども合わせれば、10kgぐらいは軽く軽量化できるという(※諸説あり)。運動性能に大きくかかわる慣性が働く車体前方部分が軽量にできるのだから、開発陣の操縦安定性を担当するテストドライバーは、リトラ廃止に大賛成だったかもしれない。まぁ、その分ワクワク感というものが失われてしまうのだが。
全貌の眼差しがリトラがスポーツモデルであった「証」と言える
その昔、ホンダNSXやシボレー・コルベット、マツダRX-7を試乗している際に、ヘッドライトを点灯させると(ヘッドライトが稼働して持ち上がる)、子どもたち(未就学児童や小学生)から歓声が挙がり少しだけ悦に入ったことを覚えている。そのときは「子どものクルマ離れなんて嘘だよなぁ。子どもたちが昔のスーパーカーブームのような、格好良いクルマを知らないだけだ!」 なんて思ったものだ。
リトラはカッコいいけれど、歩行者保護を考えるとやはり危ないし、同じ理由でボンネット先端のメルセデス・ベンツのスリー・ポインテッド・スターのような、マスコットも少なくなった(可倒式収納式は存在する)。
リトラは法規制や現在の高性能で万能なLED技術があれば生まれなかった装備である。だが、日産パルサーEXAや三菱GTO、マツダ・ファミリアアスティナなどなど、ほかにも多くのモデルに採用されて愛されてきた。コンパクトで照射範囲を自由に変えられるLED全盛の時代では過去の遺物ではあるのだが。
でもリトラはカッコよいシンボル。大昔かもしれないが、リトラのクルマはすごい。こうした歴史は無視できない。現在では復活ができないリトラは、ほかとは違うことを誰にでも歴史的にも伝える、素敵なギミックだったのだ。