カリフォルニアは大谷翔平選手のお膝元で日本旧車の巨大ミーティング
今年、11月2日からアメリカはラスベガスで開催された「SEMAショー」に行く機会を得たので、その直前の10月30日(土)、ロサンゼルス郊外で開催された「第16回JCCS(Japan Classic Car Show=日本旧車集会)」を見に行ってきた。
会場は、いまや全米プロ野球界の歴史ある記録をことごとく打ち破る快進撃でアメリカ人をもうならせ、日本人に夢と希望を運んでくれた我らが誇り「オ~タニサン」こと、大谷翔平選手が大活躍するロサンゼルス・エンゼルスの本拠地、「エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム」の広大な駐車場だ。
まだまだホットな「JDM(Japan Domestic Market)」な日本旧車
「JDM=クール!(カッコいい)」というスタイル、感性、トレンドが、アメリカや東南アジアを中心に引き続き高い人気を維持し続けている。
JDMやUSDM(United States Domestic Market=北米仕様)ファン、旧車好きの皆さんには釈迦に説法ではあるが、アメリカには通称「25年ルール」といって、生産から25年以上経過したクルマであれば、ハンドル位置に関係なく、米国内での登録(走行)が認められる特別なルールがある。
JDMに詳しい現地の人の話によれば、「これまでJDMは、左ハンドルの日本車を中心に盛り上がってきたが、25年ルールが適用される年次以前に対米輸出されていなかった、あるいは日本国内でのみ販売されていた日本車が、メーカーやモデルを問わず、JDMの素材として幅広く人気を集めている」とのことだ。
今回の「JCCS」に集まった日本車たちも、コンクール・コンディションから自由にカスタマイズされたものまで、じつに幅広くて見ごたえも十分だった。
今年6月にロサンゼルス市内の「ピーターセン・オートモーティブ・ミュージアム」を訪問した際、カスタムに関する分類表「HOT RODS AND CUSTOMS SPOTTER‘S GUIDE(車両型式マニア向けガイド)」に、日本の「VIP」と「BOSOZOKU」があったのには驚いた。それほどまでに、日本車と日本車のカスタム・スタイルが認知されているというひとつの証左と言えようか。
今回の「JCCS」では、さすがに「BOSOZOKU」仕様のホットファンには巡り会えなかったが(会いたかったけど……)。カスタムに対する想像を遥かに超えた日本車たちは、まさにひとつの作品であり、その出来ばえにただただ唖然と言うよりも、アメリカのクルマ文化に対する半端ないモーレツなパワー(吸収欲)と熱量がビシビシと伝わってきた。
「日本は、なんでもクールなんだよ!」
「おおかたロサンゼルス近郊の在米日本人が、趣味とコミュニケーションで始めたイベントなんだろう」とタカをくくって出かけたのは大きな間違いだった。その参加者のほとんどが、人種、年齢を超越したアメリカ国籍を有するクルマ好きで、その熱狂ぶりにすっかり感動してしまった。
たとえば、グリーンのマットボディに大きな日の丸を付けた「ダルマ・セリカ」を愛してやまない彼。「どうしてカミカゼ・スタイルなの?」と尋ねると、「とにかくオイラは日本が大好きなんだ。どうだい、キマってるだろう」と、答えになっていないが、とにかくニコニコ顔。「このクルマは全部自分で直したんだぜ。まだまだ途中だけど、いい感じだろ」と、一方的にベラベラ話すその姿からは、半端じゃない気持ちが伝わってきた。
そしてこちらも半端ない。意味不明のステッカーを貼った走り屋チーム。「コレ、日本語だけど、文章になってないよ?」と聞くと、チームリーダーらしき若者が「あ~、コレっすか、俺たちのチーム名っす。意味通じないっすか? 自動翻訳したんっすよ」と、こちらも少しも物おじしない得意顔で答えてくれた。意味はわからなくても「日本語がクールだから、自分たちで作った」とのこと。とにかく陽気にはしゃいでいるから、こちらもついつい「まぁ、いっか」と、なんだか楽しくなってくる。
JDMブームの大きな牽引力になったのは、現代日本を象徴するクルマを題材にしたゲームやアニメーションなどだ。実際、何人かのユーザーにJDMの魅力を聞いてみたら、その多くから、JDMで人気の高いクルマが登場するゲームやアニメ、漫画の名前がポンポンと上がってきた。なるほどその影響なのか、ショップで売っていた怪しい日本語が印刷されたTシャツも飛ぶように売れていく。
「漂流」とプリントされたTシャツも人気があるようなのだが、いまいちピンと来ない。ためしに例の自動翻訳にかけてみたら、ズバリ「Drift(ドリフト)」。なるほど、まぁ、いっか、とますます楽しくなってくるのだ。
ミントコンディションの日本車USDMから、「どうしてここに?」というJDMまで
広い会場は、トヨタ、日産、ホンダ、横浜ゴムなどのメーカー系も出展していたが、基本的には各愛好家のチームあるいはメーカー、車種ごとにまとまって展示されていた。
なかには完全なまでにレストア、維持されている左ハンドル仕様のマツダ三輪車とキャロル、ダットサン・セダン、ダットサン・トラックにステーションワゴン、ホンダZ(輸出用は600cc)などなど、対米輸出の黎明期を飾った貴重なモデルから、日本の各自動車メーカーのブレークスルーモデルまでもが大事に維持・管理され、愛されていることがわかった。遠い異国で有難いことじゃないか。
■トヨタ
■ダットサン
■ホンダ
■マツダ
■いすゞ/スバル/三菱
ほかにも画像ギャラリーにJCCS会場の写真を多数アップしているのでじっくりご覧いただきたい。
顔を赤らめて喜ぶ「トヨタ・セラ」マニアのオジサン
果てしなく広い会場内に溢れるJDMに目を奪われながらも、目に留まって声をかけたのは、自慢気に高々とガルウイング・ドアを跳ね上げて展示していた「トヨタ・セラ」のオーナーさん。完璧なJDMで、当時の純正オプション・スピーカーまで装備していた。
オーナーのオジサンに話を聞いてみると、「これは6年前に、ある日本車のコレクターから譲ってもらったんですよ。書類にカタログ、全部揃ってますよ。当時の純正オプション・スピーカーも付いてるんです。あと、これは何かの書類入れかな……。名刺もあります」
名刺が、当時のビスタ店の担当セールスとサービスフロントの名刺で、残念ながら日本ではこの販売チャンネルは今はもう無いことを教えてあげると、日本から来たわれわれにオジサンから質問がきた。
「前から知りたかったことがあるんです。エンジンをかけるときに、どこかで何かしゃべってるようなんですよ」とオジサンが大きなおなかを抱えてクルマに乗り込み、イグニッションをONにすると……「ピーッ! ETCカードが挿入されていません」
これが「ETC」という日本の有料道路の自動集金システムのことだと説明したところ「おぉ、そうなんですか! それはスゴイ!」とオジサンは大きくうなずくと、明らかに顔を紅潮させて、長年の「ナゾ」が解けたことにニコニコ顔で喜んでいる。横にいた友達も同様に、首を縦に大きく振ってうなずいていた。
そこで、筆者と同行した友人が、オーナーにETCカードを見せてあげて、「せっかくだから、ETCカードを挿すところをiPhoneで撮っといたらどうですか?」と、オジサンに提案すると、嬉しそうにカメラを起動させた。そして、いざ、カードを挿入すると……「ETCカードが挿入されました。有効期限は〇〇年〇〇月〇〇日です」
オジサンは「おっ、いつものと違うぞ。何て言ってるんだろう?」と興奮。どんな内容を機械がしゃべっているのか伝えると「そうなんですね、すごいな!」
相当に嬉しかったのだろう。オジサンはますます顔を真っ赤に染め、目尻を思いっきり下げて、子どものようにクルマから飛び降りると「長年のナゾが解けてとてもスッキリしたよ。どうもありがとう。本当に助かったよ!」
異国の地で、人様のお役に立てた満足感(?)に、こちらもますますニコニコ。「やっぱ、JDMファンには、正しい日本語を知ってもらい、使ってもらった方が良いのかなぁ……」と、もう、適当なのが良いのか? 正しいのが良いのか? わからなくなっていくのだった。
やはり「Z」は別格だった!
先日、北米で次期型の「Z」が先行発表され大きな話題になったが、やはりここ「JCCS」の会場でも「Z」は別格な存在で、多くの「Z」ファンが自慢の愛車で集まり、自慢話や情報収集に花を咲かせていた。
なかでも目をひいたのが、ボディサイドにでかでかと「神奈川県警察」と入ったパトカー仕様の「Z」。オーナーさんに話を聞いたら、「うちの息子もZに乗ってるんだよ」と親子で筋金入りの「Z」ファンだという。このオーナーさんには、「すごくリアルなパトカーだけど、この“察”は要らないね」とお伝えしたが、ここまでくるともはや「大きなお世話だな」と、思うようになってきた。
そして、「Z」ファンの情熱極まれりというのがコレ。今では輸入車でも「シューティグブレーク」という車形が車名となって販売されているが、なんと初代「Z」でこれを再現してしまった人がいるというのだから驚いてしまう。
「Phantom Z Sport Wagon」という名が付けられたこの「Z」は、昨年7月に逝去された初代「S30 Z」のデザイナー、松尾良彦さんが描いたドローイング・スケッチのなかにあったものだそう。2014年にアメリカのJDMパーツ&レストアラー、ジェイ・アタカ氏によって造られた、まさに当時の松尾氏の夢を叶えた唯一無二のカスタム・モデルだと言うのだ。
日本でお目にかかることはないと思われるだけに、初めて知ったこの幻の「Z」を通じて、あらためてアメリカの「Z」人気の奥深さを思い知らされたのである。
どこまで行く? JDM人気
さてさて、見るものすべてが新鮮と驚きの連続だった今年のJCCSだが、ある特定のファンだけのものだとしても、とにかくあらゆるスタイルの「JDM」が、アメリカ人のカーライフのなかに息づいていることを嬉しく感じるとともに、羨ましく思えてきた。アメリカでの日本車の販売台数は全体の約4割にも達するというのだから、JDMの将来は安泰とも言えようか。
そんなJDM人気だが、この先いったいどこまで行くのだろうか? また、どう進化していくのだろうか? 参加者の何人かに尋ねてみると、皆口を揃えて「可能な限り、日本仕様にしたい」という返事。それこそ「25年ルール」を過ぎてさまざまなクルマがアメリカに渡ってきているようで、会場内でも何台もの程度の良い右ハンドル車を見て驚いた。
「東京420……」と黄色の怪しいフェイク・ナンバープレートを付けた青いホンダ・アクティのオーナーさんは、目のクリっとした東洋系の女の子。右ハンドルの軽自動車だったので、さっそく「良い色ですねぇ。でも、これはカリフォルニアじゃ、登録できないでしょう?」と聞いてみた。
「う~ん、あたしは良くわからないけど、毎日、コレでフリーウェイをぶっ飛ばしてるのよ」
じっさいに軽自動車が登録できるかどうか真偽を確かめるまでには至らなかったが、満面の笑みで答える彼女がウソをついているようには思えなかった。もちろん州によって異なるだろうが、仮にカリフォルニアで軽自動車も登録できるのであれば、新しいJDMとしてブレークしそうな気もしないでもないが、皆さんはどう思われるだろうか?
日本仕様に近づけるアイテムとしてはナンバープレートだろう。多くはフェイクのナンバープレートを付けているが、なかには本物もある。よく見れば、前後バラバラのナンバープレートだったり、乗用車なのに分類番号が「11」だったり。日本でも同様にEUのナンバープレートを付けてるクルマも散見するので驚かないが、さすがに、封印付きのままの右ハンドル車や赤斜線のディーラーナンバーという強者もいたのには驚いた。全体的に、日本仕様の雰囲気を楽しむ陽気な感じなのだが、リアルさを求めるこだわり屋さんがいるのも事実なようだ。
いずれにしても、1日でも回り切れないほどの多種多彩なJDMに驚いた。それはまさにアメリカの多様性を反映しているもので、これに対応してきた日本の自動車メーカーの努力はどれほど苛烈だったか、想像に難くない。
しかしながら、いまや日本から貴重な旧車をはじめ程度の良いチョイ古クルマがどんどんと海外に流出していくなかで、ある意味で残念と思う反面、こうした受け皿があって、第二の「車生」をオーナーとともに歩めるのであれば、クルマにとっては良いことなのかな? と、なんとも複雑な気持ちで会場を後にしたのであった。