昭和のバンモデルには実用車にだけしておくにはもったいない個性があった
“バン”は辞書的に言うと“箱型の貨物自動車”のことを指す。トラックと並び、モノを運ぶことが仕事の社会を支えるクルマであるという役割は、今も昔も変わらない。
ところが昭和から数えても、すでに平成、令和と2度も元号が変わり、ときが流れた今、バンの姿自体は大きく変わった。その契機は、1982年に日産から初代ADバンが登場したことに始まった。このADバンは合理的で新発想のクルマだったことは間違いないなく、日産にそれまでにあった、サニー、パルサー、オースター、バイオレットといった別々のモデルが、販売店と車名だけを変えた同じクルマとして用意されることになったのだった。
さらにこのADバンは、他社のバンもOEMとして巻き込むことになった。世代にもよるが、ADバンの2世代目時代には、マツダのファミリアバン、スバルのレオーネ・バンが仲間に加わり、4代目では三菱ランサー・カーゴが加わった。さらにややこしいのはマツダ・ファミリアバンは、のちにトヨタ・プロボックスのOEMに鞍替えしていたりすることで、街なかでADバンやプロボックスを見かけて、クルマについているロゴマークが別のブランドだったりすると、承知していても一瞬、おや!? と思わせられたりする。
車名ごとにバンの設定があった
さてここで文脈は昔はこうじゃなかった……の流れになるのだが、昔は、それも昭和のころといえば、今となっては信じられないことだが車名(銘柄)ごとにバンが用意されていたのだった。ADバンの流れで日産車でいうと、手元にある、東京モーターショーで配布された1972-1973年のパンフレットを見ると、チェリーバン、サニーバン、ブルーバードバン、ブルーバードUバン、スカイラインバン、セドリックバン、グロリアバン……と、じつに豊富な車種の“雄姿”の写真が載っている。
しかも、なるほどとあらためて思わせられるのは、チェリー=1000cc/58ps、サニー=1200cc/68ps、ブルーバード=1400cc/85ps、ブルーバードU=1600cc/100ps、スカイライン=1800cc(1600ccもあった)/105ps、セドリック/グロリア=2000cc/115psと、ものの見事に、排気量とパワーの序列ができ上がっていたのである。
情緒とは対照的で合理的なヒエラルキーが敷かれていた
じつはこの記事のテーマを編集部に提案したのは「バンの世界は今はADバンかプロボックス/サクシード一色だが、昔はそれぞれの車種ごとにバンが別々に用意されていて、町の風景も今に較べたら饒舌なものだった」ということをお伝えしたかったため。だが前述の日産のバンのラインアップをあらためて見直すと、意外なことに、情緒とは対照的で合理的なヒエラルキーが敷かれていたことを再認識させられた次第。
きっと当時のバンのユーザーだった会社の経営者や街の商店の店主は、「チェリーのバンってキュートでカワイイよね」とか「やはりわが社の貫録を示すならセドリックでしょう」などと考えるよりも先に、営業車としてバンを使ったときのコスト、キャパシティから勘案して車種を選んでいたのだろう。