日々の生活に密着し 長い歴史を持つ軽商用車
小口集配など物流の末端で働くワンボックスのキャブバンや、農作業のパートナーとして農機運搬などに力を発揮しているキャブトラックなど、生活に密着したクルマとして親しまれてきた軽商用車ですが、軽乗用車とともに長い歴史を持っています。なかでもダイハツ工業が1960年に発売したハイゼットは、4輪の軽商用車(バン&トラック)として今も生産販売が続けられていて、ブランドとしても60年を超える長い歴史を誇っています。今回は、軽自動車規格の変遷を紹介しながら、ハイゼットが辿った道程を振り返ってみることにします。
軽トラ第一弾はスズキのスズライト
軽自動車の概念が初めて定義されたのは、まだ戦後間もない1949年のこと。運輸省令が改訂され車体の最大寸法が全長=2.8m×全幅=1.0m×全高=2.0m、エンジンの最大排気量を4サイクル車は150cc以下、2サイクル車は100cc以下と決められていました。
しかし、現実的にはこの軽規格に則ったクルマが生産されることはありませんでした。そして軽規格自体も変更が繰り返され、車体の最大寸法に関しては1950年に全長=3.0m×全幅=1.3m×全高=2.0mとなり、エンジンの最大排気量に関しても51年に4サイクル/2サイクルを問わず360cc以下とされています。これが1976年まで続けられたことで多くのメーカーが参入し、本格的な軽自動車が続々登場することになりました。
第一弾となったのは1955年、鈴木自動車工業(前年に鈴木式織機から改名。現スズキ)がリリースしたスズライト(初代のSF型)でした。
当初は乗用車のセダンと商用車のバン&ピックアップがラインアップされていましたが、1957年にはライトバンのみに整理されています。その2年後にはフルモデルチェンジを経て、2代目のスズライトTLに移行。当初はライトバンのみでしたが、乗用モデルのTLAも登場しました。ただしTLAは5年間で販売が終了。主力のライトバンも1968年に販売を終えてしまいました。
大ヒット3輪ミゼットと4輪ハイゼットで追い抜くダイハツ
スズライトから2年遅れて、1957年にはダイハツが3輪軽トラックのミゼット(初代モデルのDK/DS型)を発売。バイクの後輪を2輪に増やして荷台を設け、エンジンに跨ってバーハンドルで前輪を操作するひとり乗り、というパッケージは2輪からの乗り換え需要を引き起こし、大ヒットに繋がりました。 1959年には丸ハンドルでふたり乗りとなった2代目のMP型が登場。また東洋工業(現マツダ)から同じコンセプトのK360が発売され、ツートップとしてマーケットをけん引していきました。
しかし、1958年に発売された軽4輪乗用車のスバル360(K111型)がヒットしたことで、軽トラックでも3輪から4輪へとマーケットがシフト。ミゼットが大ヒットしていたダイハツでも後継モデルとしてハイゼットを開発。1960年にピックアップトラックを、1961年にライトバンを発売しています。そのハイゼット・シリーズは、現在も生産販売が継続されています。スバルをブランドと考えるかは論が分かれますが、少なくとも軽商用車におけるハイゼットは、最長寿ブランドと言ってよいでしょう。
ピックアップからキャブオーバーに
1960年に登場したハイゼットはボンネットタイプのピックアップトラック(L35型)の1タイプでしたが、翌1961年にはルーフをボディ後端まで伸ばしたライトバンと、リヤのサイドウインドウをスチールパネルで覆ったパネルバン(ともにL35V型)が追加されています。
搭載されていたエンジンは空冷2サイクル直列2気筒のZL型で、何度かのマイナーチェンジののち、1966年にはこれをベースに水冷化したZM型に換装され、型式もL36型系に移行しています。そして1967年にはフルモデルチェンジを受け、フェロー・トラック(L37P)とフェロー・バン(L37V)に移行しています。
こうなるとハイゼットの名が途絶えたかに思われますが、じつは1964年にはキャブオーバータイプのハイゼット・トラック(S35P)が登場。こちらが2代目ハイゼットとなっていたのです。翌1965年にはキャブオーバータイプのバン(S35V型のキャブバン)が登場し、ラインアップも充実していきました。そして1966年にはボンネットタイプの初代とともに、エンジンを水冷化しS37系に移行しています。 1967年にフルモデルチェンジを受けてハイゼットは3代目に移行。ホイールベースが100mm短くなりましたが、ラダーフレームにZM型エンジンを搭載、フロントがコイルスプリングで吊ったダブルウィッシュボーン、リヤが剛性の高いリーフリジッドというサスペンション形式は2代目から踏襲されていました。 軽のキャブオーバー車として初の角型ヘッドライトが特徴とされていますが、モデルライフの途中でフロントドアを後ヒンジの前開きから一般的な前ヒンジの後開きに変更されていたことも見逃せません。