「セーフティ&エコ」な先進技術のバックボーンにはモータースポーツ
カシミアのニットを羽織ったマダムが、テイクアウトしたコーヒーを助手席ですすっていそう。そんなクリーンかつスマートで、電動化に前のめりな自動車メーカーとして頭角を現しつつある「ボルボ」。ところが昔からモータースポーツ界では、バリバリに泥臭いまで武闘派だったことはご存じだろうか?
1950年代からラリー界で暴れまくり
ボルボがモータースポーツで初めて活躍したのは1958年、スウェーデンはイエテボリの自動車工だったグンナー・アンデルソンが、当時アメリカ輸出用だった85ps仕様のボルボ「PV444」でスウェディッシュ・ラリーを制したことに始まる。彼は瞬く間に欧州ラリー選手権とスウェーデンのツーリングカー選手権のチャンピオンになり、グラン・プリモ・アルゼンティーナ(アルゼンチン・ラリーの前身)など国際レースでも勝利を重ねた。
余談だがアンデルソンは、1961年にはフェラーリ250GTで公道レースとして最終開催となったミッレミリアでも優勝。1962年には欧州ラリー選手権をボルボ・アマゾンで再び制するなど、この時期、脂ののったドライバーだった。
PV444の後には「PV544」や「アマゾン」が続いたが、ボルボならではのボディの頑丈さとエンジンの耐久性を目いっぱい活用して、フィニッシュラインまで必ず辿り着くのがその手腕だった。その後もボルボはPV544やアマゾンでサファリ、アクロポリスといった過酷なラリーを制し続けた。
ボルボに請われモータースポーツ部門を率いる立場となったアンデルソンは、1970年代にも決定的な仕事を成し遂げた。当時ボルボが買収したオランダの自動車メーカー、DAFとの共同モデル「343」で、欧州ラリークロス選手権に殴り込んだのだ。
343は小型のハッチバックでありながら、フロントエンジン・リヤ駆動(FR)を採用。しかもCVTトランスミッションを後車軸寄りに積むことで重量配分を最適化し、競技仕様は1.6Lターボのエンジンから245psを絞り出していたという。
コンパクトなFRホットハッチにターボパワーという組み合わせは、欧州ラリークロス選手権を10年以上の長きにわたって支配し続けた。またこの時期にアンデルソンが作り出した「ボルボR-チーム」が、今日の「R-デザイン」の由来そのものといわれる。