台風の影響を受けた悪コンディションを跳ね返し3つの世界記録をマーク
トヨタが用意したのは2000GTのタイムトライアル仕様。もともとは生産開始に向けたプロトタイプ(280AI型の1号車)で、1966年の日本グランプリでは若きエースの福沢選手がドライブする予定のクルマでした。
トレーニングで炎上してしまい、結局、レースには使用しないままで放っておかれた個体を、タイムトライアル用に仕立て直したものでした。これを、チーム・トヨタ(トヨタのワークスチーム)でキャプテンを務める細谷四方洋以下、田村三夫、福沢幸雄、津々見友彦、鮒子田寛のドライバー5名が交代でドライブすることになりました。
トライアル当日は、初日こそ好天に恵まれましたが、2日目以降は折から近づいた台風28号の影響で雨に見舞われ、しかも10mを超える防風が吹き荒れる酷いコンディションとなりました。さらにクルマはいくつかのマイナートラブルに見舞われましたが、そんなタフな状況を跳ね返し、72時間/10000マイルを超えてもペースを落とすことなく、78時間にもおよぶ長丁場を堂々と走り切っています。
そして72時間を走り終えた時点での平均速度が206.02km/h、15000kmを走り終えた時点での平均速度が206.04km/h、10000マイル(約16000km)を走り終えた時点での平均速度が206.18km/h、と3つの世界記録をマーク。
それまでのレコードホルダーは排気量が3001~5000ccのCクラスに属するフォード・コメットでしたが、それぞれ約4kmほど上まわっていました。1501~2000ccのEクラスに属する2000GTにとっては、2クラス上のクルマがマークしていた世界記録を書き換えた結果となり、一躍脚光を浴びることになりました。
3つの世界記録と13の国際記録を更新
ちなみに、世界記録というのはクラスの違いなく、全クラスを通じてもっとも速い記録で、各クラス別の最高速度記録は国際記録と表記されます。
2000GTは、3つの世界記録に加えて、6時間、12時間、24時間、48時間、72時間と1000マイル(約1600km)、2000km、2000マイル(約3200km)、5000km、5000マイル(約8000km)、10000km、15000km、10000マイル(約16000km)のEクラス国際記録をマークしています。 2000GTがマークした世界記録や国際記録は、約1年後にポルシェ911Rに更新されることになりましたが、ファンの脳裏に刻まれた栄光の記憶は、今もずっと色褪せることがありません。これも2000GTが名車と呼ばれる所以です。