ヨーロッパならではの空間効率と快適さを具現化した「ミニバン」
キャンピングカーや本格キャンパー仕様が注目されるなか、SUVの隆盛とCO2削減がハードルとなってなかなか日の目を見ないものの、ニッチなところで逆張り人気となっているのが「フォルクスワーゲン・タイプ2(バス)」や一連の「ユーロバン」に代表されるヒストリックな「モノスペースバン」だ。そしてヨーロピアンな高効率&快適モノスペースを語る上で、絶対に欠かせない存在が「ルノー・エスパス」である。
各社が「ミニバン」を模索していた黎明期・1980年代
よくエスパスは初代「トヨタ・エスティマ(欧州名プレヴィア)」の元ネタになったといわれるが、初代エスティマはミッドシップの野心作だったし、初代エスパスに先んじて日産は「プレーリー」を発売していた。そもそも同時期のアメリカでは「ダッジ・キャラバン」ことのちの「クライスラー・ボイジャー」がヒットしていて、エスパスはこれを意識したところがあると、当時のマトラ・オートモビル社長フィリップ・ゲドンすら述べている。
だが、「いわゆるミニバンの元祖」は、「マシン・ミニマム&マン・マキシマム」思想をカタチにしたジウジアーロの1978年発表のプロトタイプ、「ランチア・メガガンマ」。これに触発され、各社がスタディに着手し、開発を始めて市販に至ったのが1980年代前半といったところだろう。
ちなみに当時は「ミニバン」という粗雑なカテゴライズではなく、「MPV(マルチ・パーパス・ヴィークル)」とか「RV(レクリエーショナル・ヴィークル)」といった呼ばれ方が一般的だった。ようはお遊びレジャーを筆頭に、色々なことに使えるスペース……という意味だが、そこに業務用じみたプロっぽい合理主義を漂わせてしまうのが、今日の「カングー」にも通じるフレンチ・スタイルの小狡さかもしれない。
レースの名門「マトラ」が生み出した革命的なファミリーカー
初代エスパスを開発したのはルノーではなく、軍需産業グループからフォーミュラやル・マン24時間で勝利を重ね、F1エンジンでも実績を挙げていた「マトラ」だ。マトラはバゲーラなど市販スポーツカーを手がけ、鋼板溶接シャーシにファイバー素材のボディパネルといった軽量化技術でマス生産するノウハウをモノにしていた。
だからこそ、ミニバンでありながらエスパスの開発は誤解を恐れずにいえば、スポーツカー的なアプローチで、当時の既存パワーユニットでは動的にお寒いことになりそうなMPVプロジェクトを、可能にした下地があった。そもそもエスパスの開発要件を定めたのは、マトラ以前にはアルピーヌでレーシング・ディレクターを務めていたジャック・シェイニスだったのだ。
ときはマトラと関係の深かった「シムカ」がクライスラー傘下からPSAグループに売却されたころ。そこでエスパスの計画は当初、ルノーではなくPSAグループに持ち込まれた。だが横置きFFではなく縦置きFFのレイアウトをルノー18のコンポーネントで試すうちに、ルノーに声がかかり、わずか2年で市販までこぎ着けた。1984年のことだ。
初代のボディワークはカクカクしているようでもCD値0.32、かつ室内は使いやすいフルフラットという、革新的なパッケージングだった。フロントに2Lガソリンの107psもしくは2.1Lディーゼル88psのパワーユニットを縦置きし、車重は1.2tを切る低重心設計で、驚異的な動的性能を確保した。それでいてシートやダッシュボードは「ルノー11」や「9」と流用され、当時のミドル~ミドルハイクラスと同じ高級感を共有しつつ、2列目シートも独立3座でそれぞれのシートベルトを備えた点も、ファミリーカーとして革命的だった。