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名車「パブリカ」ダイハツ版の名前は? 意外と知らない「兄弟車」の奥深き世界

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TEXT: 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)  PHOTO: 島崎 七生人

ホンダ・アコード/ビガー

 トヨタ、日産以外のメーカーにも兄弟車があった。ホンダ・アコード/ビガーは、そのなかのひとつ。ホンダは初代シビック時代に、2ボックスのシビックに対して3ボックスセダンのバラード(と5ドアハッチバックのクイント)を派生させていたが、2代目アコードの登場時に新設定された兄弟車がビガーだった。

 両車とも初代アコードの流れを受け継ぎ、ハッチバックとサルーンと呼ばれた4ドアノッチバックセダンという、ふたつのボディタイプは共通。さらに外観でいえば、ヘッドライトが矩形のアコードに対し、ビガーは角型4灯としている点が見た目の大きな違い……そんな程度だった。

 ただし1981年9月に登場した際には、アコードがハッチバックとセダンで別々のカタログを用意していたのに対して、ビガーはサルーンとハッチバックが1冊にまとめられ、扱いもサルーン推しといった感じ。ビガーは当時のベルノ店扱いの車種だったが、若々しくも同チャネルのフラッグシップとしての位置づけをより強調していたようだ。

三菱ギャランΛ(ラムダ)/ギャランΛエテルナ

 今回はさらにもう1台、三菱ギャランΛ(ラムダ)を取り上げておこう。登場は1976年11月で、角型4灯ヘッドライトや太いCピラー(カタログではロールバールーフ/リヤピラーと呼んでいた)、大きくラウンドしたリヤウインドウを採用。インテリアはシトロエンのような1本スポークのステアリングホイール、取り外し可能なDIATONEのスピーカーなど、当時のスペシャルティカーマニアの注目を集めた存在だった。

 で、ギャランΛともう1台、発足後まもないカープラザ店向けにギャランΛエテルナが兄弟車として(登場は1978年3月)設定されたのだった。両車はその後2代目にモデルチェンジしており、このときにギャランΛエテルナは、よりシンプルなエテルナΛへと車名変更されている。

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  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 1958年生まれ。大学卒業後、編集制作会社を経てフリーランスに。クルマをメインに、写真、(カー)オーディオなど、趣味と仕事の境目のないスタンスをとりながら今日に。デザイン領域も関心の対象。それと3代目になる柴犬の飼育もライフワーク。AMWでは、幼少の頃から集めて、捨てられずにとっておいたカタログ(=古い家のときに蔵の床が抜けた)をご紹介する「カタログは語る」などを担当。日本ジャーナリスト協会会員、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。
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