然るべき道をサラッと走っただけでもドライビングの楽しさを味わえた
タイトル写真に写っているのは、4代目トヨタ・セリカのカタログと、私物のYUMINGの2枚のアルバム「SURF & SNOW」(リリースは1980年12月1日)「流線形’80」(同・1978年11月5日)である(CDではなくLPレコードである点にも注意)。何を隠そう筆者は映画「私をスキーに連れてって」をキチンと観たことがなく、「SURF……」に収められた「恋人がサンタクロース」ほかの楽曲が劇中歌として使われていることも、なんとなく知っているに過ぎない。
一方で同じウインター・シーズンがテーマのもう1枚のアルバム「流線形……」のほうは、リリース当時から、クリスマス前くらいの冬の寒空の下をクルマで走っていたりすると耳が恋しくなるという、かれこれ40年以上になるこの季節の愛聴盤だ。筆者は根っからのYUMINGマニアなので、これまでのアルバムはすべて聴き尽くしているのだが、そのなかでも前述の「SURF……」は、やはり映画「私を……」のタイアップ盤としてのイメージが強い。
4世代で初めてFF化されたセリカ
ここでやっとセリカの話に移る。厳密に言うとGT-FOURが「私を……」の劇中車にもなっていた(という)4代目セリカのデビューは1985年8月のこと。このときに、一世を風靡したあの初代カリーナEDと、事実上セリカのノッチバッククーペ版でもあったコロナ・クーペが同時に登場している。
最大のニュースは3代目までFRでやってきたセリカだったが、この4世代で初めてFF化されたという点。このころのトヨタ車はジワジワと乗用車のFF化を進めており、中型クラスのコロナ(7代目/1983年)、カリーナ(4代目/1984年)がすでにFF化を果たしていた。これらのプラットフォームを活用しながら誕生したのがこの4代目セリカだった。なお、それまでセリカのロングホイールベース&6気筒版だったセリカXXは、4代目セリカ登場の半年後の1986年2月、A70型が輸出仕様と共通のスープラに車名を変えて登場している。
空気抵抗係数は0.31という空力的なデザインも特徴
4代目セリカは、いかにも空力的で垢抜けしたスタイリングも特徴だった。空気抵抗係数は0.31と優秀で、フレアを持たないホイールアーチ、28度にスラントしたフロントガラス、3面折れのバックウインドウとヒドゥンフレームのバックドア、1295mmの低全高などが特徴だった。
このあたりの商品特性を言い表していたのが登場時のコピー“流面形発見さる。”で、“流”と“形”を明朝体、真ん中の“面”をゴシック体としたユニークなグラフィック表現も印象に残る。
FFであってもセリカである以上、スペックはもちろん重視され、トップモデルのGT-R(とGT)にはグロス160psの2Lツインカム16バルブの3S-GELU型を搭載。ほかに1.6Lの4A-GELU型、1.8Lの1S-iLU型を搭載する。サスペンションは4輪ストラットの独立懸架で、フロントサスペンションのロアブレース、新設計のロアアーム(前後とも)、スタビライザーリンクのボールジョイント化、パフォーマンスロッドの採用(GT系)などがポイントだ。
ブリヂストンRE71がオプションとして用意されていたGT-FOUR
そしてフルモデルチェンジ翌年の1986年10月に、いよいよトヨタ車初のフルタイム4WDとしてGT-FOURが登場する。センターデフ方式(手動のデフロックスイッチ付き。1987年からはビスカスカップリングに変更)のフルタイム4WDとし、エンジンは新開発のレーザーα3Sツインカム16ターボの3S-GTE型(ネット185ps/24.5kg−m)が搭載された。ターボチャージャーは小型・軽量・高効率タイプで、水冷式のインタークーラーの組み合わせ。エンジン回転が1600〜4800rpmでフル加速状態になると約10秒間、過給圧を標準より高めエンジン出力を最大限に発揮させる過給圧制御も採用されていた。
外観では丸型ハロゲンフォグランプが組み込まれた専用デザインのフロントバンパー、大型ロッカーモール、それとボディサイドのGT-FOURのデカールなどが専用。タイヤは195/60R14 85HとFFのGT系とサイズは共通ながら、GT-FOURではピレリP6000を標準装着、BSのRE71が注文装備として用意されていた。
GT-FOURのインテリアはアダルト指向だった
インテリアの装備では本皮革+フルファブリックのシートがGT-FOURだけの使用として装備され、これには電動式のランバーサポート、サイドサポートの各アジャスターが備わっていた。
オーディオもシリーズでは当時としてはもっとも充実した、カセット一体AM/FMマルチ電子チューナー付きラジオ(サウンド・フレーバー・システム付き)が備わり、4スピーカーながら、GT系では標準だったライブサウンドスピーカー・システムを備えていた。
カルロス・サインツの足元にも及ばないが、広報車を借り、日本の一般公道で試乗したときのことは筆者もよく覚えている。5速MTでハイパワーを駆使しながら、嘘のようにヒラヒラとワインディングを駆け回れる爽快感がとにかく印象的だった。今のクルマに較べメカニズムもずっとシンプルだが、それだけに、何もスキー場を目指さなくても、然るべき道をサラッと走っただけでもドライビングの楽しさを味わわせてくれた、そんなクルマだった。