日本の高度成長とともに歩んだホンダ
ホンダと言えば1948年の創立後、短期間で一大バイクメーカーとなり、1963年には早くもベルギーで海外現地生産を開始する。そして同年に四輪に参入すると翌1964年にはF1に参戦。その後1982年には日本メーカーとして初となるアメリカでの四輪現地生産開始と、創業以来短期間で急成長を遂げて、早くからワールドワイドに活躍してきた歴史がある。戦後の日本の復興を象徴するようなストーリーを持つ大企業だ。
そんな世界企業なホンダだが、ホンダというよりも日本とアメリカで問題が起こる。それが1970年代ごろから始まった日米貿易摩擦であり、1980年代には非常に大きな問題となった。これは家電や半導体も大いに絡んでおりクルマだけの話ではないのだが、クルマを例にわかりやすく言えば「アメリカでたくさん日本車を売っているのに、日本はアメリカ車を買っていない、不公平だ」といった感じ。アメリカの大統領が日本にアメリカの商品を買うように来日するなど大きな問題となった。
貿易摩擦緩和のため北米生産のアコードを逆輸入
そこでホンダが選んだ手段は、ホンダ・オハイオ工場で生産される3代目アコードに設定される日本で未発売のクーペ、アコード・クーペを日本に輸入することである。 当時はプレリュードがホンダの2ドアクーペの顔であり、アコードにクーペを設定する旨味は少ないと思われた。だが、本革シートによる内装の派手さやBOSEのオーディオシステム、クルーズコントロールや前席のパッシブ・シートベルトなど、アメリカで人気の装備満載で発売されたアコード・クーペはどこかバタ臭いアメリカらしさを感じさせて、アメリカのホンダが開発したクルマとして一定の人気を確保する。
ワゴンモデルも逆輸入
そして短期間ながら目標販売台数をクリアしたホンダは、1989年発売の4代目アコードでも、半年遅れの1990年にクーペモデルを発売。やはりアメリカ製のクーペだが今度は右ハンドル仕様もあり、MT仕様もあるプレリュードとATのみのアコードクーペとしてそれぞれのポジションを確立。そこで手ごたえを確信したのであろう、ホンダは1991年に今回の主役、4ドアセダンがアコードとアスコット、ハードトップがインスパイア&ビガーに切り替わった世代に追加されたアコード初のワゴンに注目する。
USアコード・ワゴンの名でしられるこのモデルは、コンセプトから設計・開発をホンダR&Dノースアメリカ(HRA)、生産設備などをホンダ・エンジニアリング・ノースアメリカ(EGA)が担当して、ホンダ・オブ・アメリカ・マニュファクチャリング(HAM)が生産を担当。北米のみならず欧州や日本でも販売されるグローバルカーとなっている。 CB9型アコード・ワゴンの特徴は全長4725×全幅1725×全高1440mmで、4ドアセダンが4680×1695×1390mmなので、ホイールベースは同じ2720mmながら、ひと回りほど大きなボディが与えられていることがわかる。バンパーはアメリカ車でお馴染みの軽い衝撃機能を備えた5マイル・バンパーが備わるから、全長はバンパーと荷室に与えられたものだろう。