参加者が思い思いのスタンスで楽しめる
都内でのツーリングとPC競技を楽しめるCOPPA DI TOKYO(以下:コッパ ディ 東京)は、気軽に参加することができる1Dayのヒストリックカーラリーだ。ヨーロッパの街並みかと見紛う雰囲気のいい建物が建ち並ぶ汐留イタリア街をスタート/ゴール地点とし、ルートマップを見ながらスタンプポイントとして設定された観光名所と競技会場を巡るという、お馴染みのプログラムとなっている。
ビギナーも参加できるコッパ ディ 東京
PC競技は、決められた区間を主催者が設定したタイムで、いかに正確に走行することができるか? を競うコンペティションのこと。コッパ ディ 東京のそれは初心者も楽しめる内容で、ヒストリックカーラリーのベテランのみならず、毎回ビギナーも参加している。
すべてのエントラントが思い思いのスタンスで楽しめる点が、コッパ ディ 東京ならではの特徴だといっていい。去る11月23日に開催されたコッパ ディ 東京 2021にも、さまざまなクルマとオーナーが参加した。
1965年式トライアンフ・スピットファイアMk-1
まずは、女性コンビから紹介することにしよう。1965年式トライアンフ・スピットファイアMk-1で参加した三﨑由湖さんは、神奈川県三浦市にある旧い蔵をリノベーションしたRevival CAFE(リバイバルカフェ)の代表として知られる有名人。
クルマ好き、バイク好きが挙って集まるRevival CAFEに筆者も数回お邪魔したことがあるが、今回、三﨑さんのコ・ドライバーを務めたのは、同カフェのスタッフになって3年になるハタチの檜山瑠奈さん。どこかで見たことがある女性だなぁ~と思っていたらビンゴだった。
三﨑さんは熱心な英国車フリークで、日英自動車モノの1974年式MG-B(左H/5速/OD付)を10年前にゲット。そして、以前から欲しかったスピットファイアを3年前に増車した。濃密な2台体制を楽しんできたが、MG-Bに乗る機会が減ってしまい、泣く泣く手放してしまったのだという。
「スピットファイアに乗りつつ、MG-Bのほうは車検を切って持っていたんですけど……。10年所有しましたね。スピットファイアは扱いづらいのですが、それが可愛くなってきました」とは三﨑さんのコメント。扱いにくい愛機を駆り、コッパ ディ 東京でしか味わうことができない景色やクルマ仲間との会話を楽しんでいた。
1965年式BMWイセッタ
続いて紹介するのは、1965年式のBMWイセッタで参加した佐藤 猛さんだ。コ・ドライバーを務めたのは23歳の柴田直人さんで、彼はヒストリックカーラリーに参加するのも、PC競技に挑戦するのも初めてという現役の大学生だった。
「以前から1959年式のメッサーシュミットを持っていて、メッサーが手もとにあるとイセッタも欲しくなるんですよ(笑)。ちなみに、メッサーシュミットはディーラー車です。それで1~2年前に本国仕様のBMWイセッタを買ったのですが、このクルマ、ご近所のマンションの地下駐車場にずっとあったんです」
「今回のコッパ ディ 東京でコ・ドラをやってくれた柴田くんは、私が趣味で走らせているミニSLに子どものころから乗りにきていた乗り物好きで、すっかり大きくなったので、どう? という感じで誘ってみて、一緒に来てもらいました」と話してくれた。
佐藤さんによると、イセッタで走るコッパ ディ 東京 2021は例年よりも走行距離が長かったので「くたびれた」とか。柴田さんのほうは「最初、PC競技のやり方がわからなかったのですが、楽しかったです」とコメントしてくれた。
1992年式ロータス・エラン
最後に紹介するのは、某自動車会社でデザイナーを務めていた中尾 博さんだ。4~5年前にアルピーヌA110の助手席でコッパ ディ 東京に参加したことがあるが、自身の愛機で楽しむのは初めてとのこと。今回、29年前に購入した1992年式のロータス・エラン(M100型/前輪駆動)で全行程を走り抜けた。
中尾さんの愛機は中期型で、ロータスのロンドンセンターから購入したのだという。ボディ同色のカラーストライプが入ったオリジナルのシートを装備しており、エンジンヘッドなどの差し色は、中尾さんが見映えをよくするために施工したものだ。
一流のコーナリング・マシンと評されることもあるM100型エランは、車体をロールさせながらも粘り強く路面をグリップさせ続ける優れたサスペンションを採用したことにより、秀逸で世界に冠たるレベルのハンドリングのよさを実現していた。
コッパ ディ 東京などのヒストリックカーラリーは速く走った者が勝つレースではない。毎回、走って楽しいコース設定となっているので、中尾さんも、きっと愛機のハンドリングのよさを再確認したに違いない。「天気がよかったので、楽しかったです。オープンカーには最高ですね」と話してくれた中尾さんはつねにオープンで走っており、幌のビニールは交換していないそうだ。
エントラントとギャラリーの双方がルールを守る必要がある
コロナ禍が完全に収束したわけではないので、今年も入場が規制されたが、ウレシイことにたくさんのギャラリーが汐留イタリア街に駆けつけてくれた。それはそれでよかったのだが、汐留イタリア街周辺のコインパーキングが都市開発によって減ってしまったこともあり、路上駐車が横行し、警察の取り締まりがあったこともお伝えしておきたい。
イベントを今後も継続していくために、エントラントとギャラリーの双方がルールを守る必要があるので、みんなで節度ある行動を心がけ、これから先も長くずっとコッパ ディ 東京を楽しんでいけたら幸いだ。