今やポルシェ本社も一目置く重要人物、マグナス・ウォーカー
ここ10年来、ポルシェの世界でポピュラーな「アーバン・アウトロー・スタイル」というジャンルをご存じだろうか? 今回は世界的なポルシェコレクターであり、自らを「Urban Outlaw(都会の無法者)」と称する男、マグナス・ウォーカー(Magnus Walker)に迫ってみよう。
イギリスから渡米して成功したアメリカンドリームの体現者
ドレッドヘアにタトゥーだらけの腕、彼は「ポルシェコレクター」というステレオタイプからは程遠い人物像だ。自らを「アーバン・アウトロー」と称し、彼の乗るポルシェに影響を受けた多くの人によって、「アーバン・アウトロー・スタイル」なるジャンルが確立されている。
マグナス・ウォーカーはイギリス中部の工業都市シェフィールドで1967年7月に生まれた。1977年に父親と見に行ったロンドンの「アールズコート・モーターショー」で初めて「ポルシェ911」と出会う。これが彼の人生を大きく左右する分岐点となった。
「白いボディに赤と青いストライプが入ったマルティニ・ターボだった。そのクルマを見てすぐにわかったよ。“これが俺のドリームカーだ!”ってね」
当時のシェフィールドで自動車といえば、ピックアップトラックか、農業用のトラクター、バスやタクシーなどの旅客業務用の車両しか考えられなかった。そんな環境で育った当時10歳のマグナスにとって、流線型のスポーツカーはまさに異色の存在。一瞬で心奪われてしまったのは想像にかたくない。
その後イギリスでの将来に見切りをつけたマグナスは、1986年にアメリカに渡るとそのままロサンゼルスに住むようになり、19歳のときにベニスビーチで古着屋をスタート。マグナス流に加工した古着は飛ぶように売れ、その後「シリアスクロージング」という自身のファッションブランドを立ち上げて、大成功を収めることとなる。
また彼が住んでいた建物が映画関係者の目にとまり、これを貸すことで映画ロケーション誘致など不動産業でも大成功。絵に描いたようなアメリカンドリームを手にいれたマグナスは、そんなサクセスストーリーの途上である25歳で、初めてポルシェ911を購入している。現在でも「最高の買い物だった」という最初のポルシェは、7500ドルだったそうだ。
世界有数のポルシェコレクターかつカスタム作家に
その後何十年もかけて、マグナスのポルシェコレクションは増えていき、現在LAのダウンタウンにある彼のガレージには、40台を超えるポルシェ911が整然と並んでいる。
それでは「アーバン・アウトロー・スタイル」とはどんなものなのだろうか? じつはまったく定義が存在しないのだ。ただしマグナスが50歳の誕生日に出版した自伝「アーバン・アウトロー」のなかで、彼が考えるアーバン・アウトローの3つの法則を記している。
■第一の法則
「一日一回、自分自身と向き合うレースに挑め」
■第二の法則
「よいと思ったら、なるべくシンプルに行動を起こせ」
■第三の法則
「あなたの情熱を理解できる人とビジネスをせよ」
そしてマグナスはこうも語っている。「もしあなたがルールや慣習に左右されない人間であるなら、なんでも可能だ」
マグナスの生き方&イジり方=アーバン・アウトロー・スタイル
マグナスのコレクションを見ればわかる通り、「ポルシェ911R」に代表されるレースにインスパイアされた装備や派手なレタリングなどが特徴となっている。だが、決して法則やルールがあるわけではなく、マグナスがカッコイイと思うことを常識にとらわれずにカスタムしたポルシェが、結果的に世間に評価されただけに過ぎない。
つまりマグナスがこれまで数々の成功を収めてきたアパレル業務や不動産業務と同様、彼の行うことが周囲に評価されただけなのだ。結果、マグナスのカスタムしたポルシェは、ジェイ・レノなどの著名人にも評価され、ミニカーになるほど有名となった。むしろ周囲が勝手に「アーバン・アウトロー」とカテゴライズしたに過ぎないのかもしれない。
ヒゲとドレッドヘアに白いものが混ざってきたマグナスは現在50歳。すでにアパレルブランドも自身の手を離れており、数年前に妻に先立たれた彼は、第二の人生を模索中だという。そして今は南米各地を「ポルシェ911 GT3」で自由を求めて走り続けている。