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昭和オヤジ世代の青春ど真ん中!「ハイソカー」「インプ&ランエボ」にときめいた全盛期の「国産セダン」9選

オヤジ世代感涙のセダン代表

オヤジ世代が若者だったころは魅力的セダンがゴロゴロ

 今こそSUVやハッチバック、そしてミニバンやプチバンがクルマの主役となっている。だが、かつてというか、今オヤジ・ジジィ世代が青春を謳歌し、クルマやドライブデートにのめり込んだ80~90年代は、信じられないかもしれないが、クルマと言えばセダンが基本、全盛だった(もちろんハッチバックやスポーツカーの人気も高かったが)。

 だから、各自動車メーカーは魅力的なセダンを続々投入。誰もが手に届く、乗りやすいファミリーセダンはもちろん、クルマ好き、男が憧れるような硬派(!?)なセダンもあったのである。

トヨタ・アリスト

 その筆頭が、1991年にデビューしたトヨタ・アリストだろう。キャッチフレーズは「スポーティハイパワーセダン」。つまりスポーティセダンであり、最上級モデルには直6 2ウェイサインセラミックターボエンジン(2JZ-GTE)を搭載。

 2代目のエクステリアでは、スポーツカーのようなスラントした4灯ヘッドランプカッコ良かった。だからオーナーは飛ばし屋が多く、乱暴な運転をする輩もいたものの、硬派なスポーツセダンとして一世を風靡したのである。

トヨタ・セルシオ

 しかし、世界を驚愕させた80年代後半の歴史に残るセダンと言えば、やはりトヨタ・セルシオだ。海外ではレクサスLSと呼ばれ、トヨタの高級車ブランド、北米を主力としたレクサスの最上級車種として位置づけられたセダン=サルーンだった。その登場には裏話があり、当時バブル期のハイソカーブーム真っ盛りのなか、日産シーマが大ヒット。そのため、対抗できるクラウンより上の車格のセダンが、トヨタとしてどうしても必要だったのである。

 エンジンは4L V8!! それに4速ATを組み合わせたパワーパッケージで、国産車最上の動力性能、乗り心地、装備、そして世界の高級車メーカーをもうならせた驚愕の静粛性を実現。その後、セルシオ(レクサスLS)に触発され、世界の高級車の静粛性が高まった……なんていう逸話もある。

 当時、VIP、社長族はもちろん、懐に余裕ある遊び人がこぞって買い求め、夜の銀座、六本木、赤坂は“セルシオだらけ現象”が起きたぐらいであった。アリストに比べフォーマル感が強く上品であったことも、より幅広いアッパーユーザーに好まれた要因だろう。ヤンチャなオーナーがレクサスのエンブレムに交換していたこともあった。

スバル・インプレッサWRX/三菱ランサーエボリューション

 80年代後半から90年代初頭にかけては、優秀な国産スポーツセダンが数多くデビュー。ハイパワーで男の道具として走ることに特化した車種が続々と登場した。1992年デビューの初代スバル・インプレッサ(4WD)がそうだし、世界ラリー選手権グループA参戦のための認可を得るべく、同じく1992年に市販化された初代三菱ランサーGSRエボリューション(限定車で延べ7500台の生産)はマニアックな超硬派セダン。その後、II、III、IV、VI、VIIというように進化を続けてきたのである。デートカーとしてはもちろん不向きだが、そのコクピットと呼べる前席は男の仕事場そのものだった。

マツダ・ユーノス500

 当時、かなりレアなセダンとして挙げられるのが、かのG・ジウジアーロが「世界でもっとも美しいサルーン」と呼んだと言われる、1992年に発売されたマツダのユーノス500である。そのイタリアのランチアを思わせる流麗かつ前衛的なスタイリッシュさ、エレガントさに男臭さは皆無だが、当時のファッション関係者、カタカナ商売の人たちにひっそりと愛された。なお、1993年にはカーデザイン大賞を受賞している隠れた名車であった。

 隠れた、という意味は、日本では何故かあまり盛り上がらず、わずか3年という短命なモデルライフだったからである(欧州にも輸出され、デザインも大きく評価されていた)。今のマツダのデザイン性の評価の高さの根源は、90年代の欧州に端を発している、とも言えそうだ。

いすゞ・ジェミニ

 時を戻そう。80年代にも、いぶし銀の魅力があるセダンが多数あった。1988年に登場したいすゞ・ジェミニZZハンドリング・バイ・ロータスは、5速MT、レカロシート、MOMO本革ステアリング、そしてブリティッシュグリーンのボディカラーなど、女、子どもを寄せ付けない(!?)小粒ながら輸入セダンに負けないいぶし銀の存在感、パフォーマンスの持ち主だった。

トヨタ・マークII/チェイサー/クレスタ

 また、80年代末期から90年代初頭のミドルクラスのセダンを象徴するのが、トヨタ・マークII/チェイサー/クレスタだ。5代目はバブル期のハイソカーとして人気で、スーパーホワイトのボディが街に溢れかえっていたことを思い出す。決して硬派なセダンではないが、当時大ブームだったDCブランドのファッションとの相性は抜群だったと記憶している。このころには、ホンダの3代目インスパイア/セイバーといった上品なセダンも、国産セダン派のハートに刺さっていたようだ。

 こうした80~90年代のセダンは、いわゆるオヤジ臭い、ラクダのシャツを着ているようなとはセダンとは一線を画す、クルマ好きな男のためのセダンであった。そんなセダン全盛期を知る、当時セダンを骨まで愛した今のオヤジ・ジジイ世代は、だからセダンから一生離れられないのかもしれない。

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