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「平成スカイライン3部作」の集大成!「R34スカイライン」は本当に名車だったのか?

中古車市場でトップクラスの人気を誇るR34

 編集部から直列6気筒エンジンを搭載する10代目スカイライン(R34型、以下R34)について、あらためて総括してほしいという依頼が届いた。

 すでに生産中止から20年が過ぎようとしているが、1990年代のスポーツカーの中古車高騰もあって、R34のスカイラインGT-Rはトップクラスの人気を誇り、それに追従するように基準車ターボモデル相場も上昇。マーケットでいまだ注目度の高いクルマとなっている。では、現役当時はどうだったのか?

ゴーン氏が陣頭指揮をとった新生日産でR34は賞味期限切れとなった?

 クルマファンならご存じのとおり、R34が歩んできた時代は日産自動車にとっても怒涛の時代であった。開発スタート時は極度の業績不振から予算費は削られ、デビュー直後にフランスのルノーと経営統合。日産リバイバルプランではスカイラインの主力工場である村山工場の閉鎖となるなど、新しい時代を迎える予感がひしひしと感じられた。その流れのなか、R34の基準車は歴代スカイラインでもっとも短い3年で幕を閉じ、これまでの歴史を断ち切るようなV型6気筒を搭載するまったく新しい11代目スカイライン(V35型)にバトンタッチしている。

 個人的な意見で恐縮だが、このモデルチェンジは日産を代表するスカイラインを早々と刷新することで、「日産は変わるんだ」というメッセージを全社員にアピールする意味もあったのではなかろうか? つまり、R34は新生日産にとって賞味期限切れとなり、リストラにあったということだ。スカイラインGT-Rが同時に整理されなかったのは、日産のイメージリーダーカーとして活用価値があると判断されたからではないだろうか。

R34一番の成果は「ドライビングボディ」と呼ばれた強靭な骨格

 話をR34の解説に戻そう。前述したとおり、R34が開発をスタートした時期は一番苦しい時代であり、車台は先代の9代目スカイライン(R33型)をキャリーオーバーすることは決まっていたが、ホイールベースはR33初期のクーペに検討されていた2665mmへと55mm短縮。

 初期にはV6エンジンを搭載する案やサスペンションの見直し(コンパクト化)、GT-RについてはATも検討に上がったそうだが、開発費が絞られたことで望むすべてを叶えることは不可能。その限られた予算のなかで、開発陣が注力したのは骨格の強化による操縦安定性を高めることだった。

 この時代はCAD、FEMを使った解析シミュレーション技術が開発に導入され始めた時期であり、新たにマルチロードシミュレーターと呼ばれる加振計測器を使って、さまざまな走行条件に於けるボディへの影響を精密に分析。車体構造を完全に模した特殊な模型などを使って、具体的な補強部位やアイテムを検討することが可能となった。

 この技術革新で生まれた車体を、日産が誇る車両評価実験部のスペシャリストたちが鍛え上げた。そして完成した入魂の骨格は「ドライビングボディ」と呼ばれ、基準車でR33スカイラインGT-Rと同等のボディ剛性を得ることに成功。ちなみに剛性&衝突安全性の向上だけでなく、静粛性を高めることとなりグランドツーリングカーの資質を1ランクアップさせた。ドライビングボディこそがR34開発における一番の成果であろう。

部品はほぼR33からのキャリーオーバー GT-Rを出したのは開発陣の意地か

 そのほかのメカニズムはどうか。残念ながらエンジン(RB20DE、RB25DE、RB25DET、RB26DETT)、足まわり(R33のマルチリンクサスを継続使用)、ブレーキ(基準車のターボはフロントが大型化)などは手直しや改良は施されたものの、ざっくりと言えばほぼキャリーオーバー。「“技術の棚”と呼ばれる開発部門の技術アイテムのなかから、他車種にすでに使用されているパーツでスカイラインに使えるものを隅から隅まで探した」という話もあるくらいで、メカニズム的に新しいものは見られなかった。

 開発陣は限られた予算のなかで、環境性能対策など今の時流に合わせつつ、最大限性能を引き出すために尽力した。スカイラインGT-Rは開発当初から継続が決まっていたというが、この苦境のなか、よく世に出せたというのが正直なところ。これは責任者である渡邉衡三氏を筆頭とした開発陣の意地であろう。

歴代をオマージュした懐古志向のデザインはユーザーの心を掴めなかった

 最後にデザイン。スカイラインはつねに時代をリードするセダンであり、多くの世代でデザインは新しさを感じさせたが、R34は歴代車をモチーフにした懐古志向のデザインを選んだ。

 もちろん、この考えが悪いわけではなく、アメリカのフォード・マスタングやVWビートルのような成功例もある。ただ、基本デザインだけでなく、当時前後のオーバーハングを切り詰めたデザインが主流になりつつあるなか、プロポーションも時代を感じさせた。つまり、R34は新型でありながら古典的というイメージだったのだ。致命的だったのはスカイラインの熱狂的なファン層(40代以上)にとってR34のデザインは少々若々しすぎた。3代目のケンメリのように、デザイン力でユーザーの心を掴むには至らなかったのだ。

 加えて、スカイラインといえば、国産ナンバー1の走りが売りであったが、WRCをベースとした2Lターボ4WDマシンたちの過激なまでの進化に基準車のGTターボでは太刀打ちできず、スカイラインGT-Rで面目を保つ状況。さらに趣味嗜好の多様化で、スポーツクーペ&セダンのマーケットは縮小傾向であったことも追い打ちをかけた。

R34スカイラインは良くも悪くも「20世紀遺産」というべきクルマ

 冒頭でも書いたが、初代から脈々と受け継がれてきた伝統のスカイラインはR34ではオワコンとなっていた。ただ、スカイラインには熱烈なファンいる大切なコンテンツであることを日産は承知しており、何とか残したい。それがコンセプトカーXVLのスカイライン化という流れを作ったのではないだろうか。また、基準車が切り捨てられ、GT-Rは生き残った2001年は2台が完全に袂を分かつターニングポイントだったかもしれない。

 R34は開発陣が少ない予算の中で知恵を絞り、最高のドライビングプレジャーを具現化するマシンに仕上がった。それは今乗っても強くを感じられる。古臭いけれど味があるといったところか。また、ドライビングボディの考え方は次世代以降のスカイラインに受け継がれており、空力性能をクルマに持ち込むという新たな価値ももたらした。ただ、商品としては成功とはいいがたく、ビジネスライクに新陳代謝された。スカイラインファンにとってはブランドが生き残っただけでも御の字ではないだろうか。R34は良いも悪いも含めて「20世紀遺産」というべきクルマだろう。

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