若きエンツォ・フェラーリやイタリア初の女性ドライバーが「アルファロメオ」から出走
地元イタリアのメーカーも海外勢力に対抗すべく、多くのクルマを1922年のタルガ・フローリオに投入。「フィアット」は4台、「アルファロメオ」は6台のワークスカーをシチリア島へ運んだのだ。
アルファロメオのワークスドライバーのなかには、イタリア初の女性レーシングドライバーであるマリア・アヴァンツォ男爵夫人もいた。「ミッレミリア」にも5回出場しており、女性がレース競技に参加する権利を求めて戦った、初期のフェミニズム活動家のシンボルとしても知られている。
そして若き日のエンツォ・フェラーリ青年(24歳)も、アルファロメオのワークスドライバーとして走っている。彼は1920年のタルガ・フローリオでは総合2位に入賞し、1921年は5位。この1922年には「アルファロメオ20/30 ES/4.2」で参加するも、16位とふるわなかった。
本気で優勝を狙いにきていたドイツ・ダイムラー社のチームでは、勝利に備えて大量のシャンパンを冷やしていた。ジュリオ・マゼッティが1914年型のメルセデスに乗って新記録でゴールラインを通過すると、マゼッティがプライベーターであるにもかかわらず、ダイムラー・チームはシャンパンをゴールエリアの人々にふるまったのだった。
最後の写真は、レース後に称えあうマゼッティ(右)とフェラーリ(左)の写真。フェラーリの後ろにはアルファロメオのエースドライバー、アントニオ・アスカリの姿もある。
それから100年。自動車業界には電動化の波が来て、モータースポーツのあり方も変わらざるをえない面は確かにあるが、本気のレース競技を通じて友情を育むスポーツマンシップは、いまも今後も変わらないはずだ。