V8エンジンにコンバートして突然変異
デル・ダンディ・ツーリングを製作したのは、デル・レーシングの名でチューニングやレーシングフォーミュラの製作を手掛けていた塩沢商工でした。1964年に行われた第2回日本グランプリでは、デル・レーシングが日野自動車からエンジンなどのサポートを受けて製作したデル・コンテッサが、立原義次選手のドライブで総合6位に食い込んでいます。
そんな塩沢商工は、国内における日野自動車のワークス格で、コンテッサLも4台が供給され、そのうちの1台がデル・ダンディ・ツーリングにコンバートされることになったようです。大排気量のエンジンに交換してスポーツカーを仕立てるというのは、古今東西、さまざまなトライがありました。
イギリスのACカーズが、ブリストルからエンジン供給が中止されることになったエース用に、イギリスフォードからゼファー用の2.6L直6エンジンを供給されるようにおぜん立てをしていました。アメリカのチューナーであり、やがてコンプリートカーのメーカーに名乗りを挙げるシェルビーが、米国の本家フォードが新開発した4.26L V8エンジンを搭載することを考えて企画したACコブラなどはその好例です。
デル・ダンディ・ツーリングも同様に、1.3L直4のGR100型エンジンが搭載されているエンジンルームに、2.6L V12エンジンを移植したのです。
もちろん直4からV8へのコンバートでエンジン自体のサイズアップも見逃せませんが、排気量が倍増したことで発生する熱量も増大。冷却系の容量をアップさせる必要があって、とくにラジエーター類は大きなものに交換されていたそうです。
ただし、現状では直4のオリジナルエンジンに戻されていて、保有しているPRINCE GARAGEかとりの香取 孝さんによると「ミッションが壊れていて直すよりヒューランドに特注するほうが早いけれど、コストもばかにならない。ということで載せ替えられたようです」とのこと。
幅広のV8からスリムな直4に乗せ換えられたことと、ラジエーターも小振りなものに交換されていることで、エンジンルームはゆったりとして隙間が目立つほど。ボディのリヤサイドに設けられたエアアウトレットも手持無沙汰のようでした。
外観ではそのエアアウトレットが最大の特徴ですが、その前方、リヤのホイールアーチにはステンレス製のオーバーフェンダーを装着。控えめではあるけれどもしっかりと自己主張していました。
また前後のバンパーも特製で、二段重ねとなった左右のテールランプに挟まれたリヤのグリルもメッシュ製のものに交換されているなど、オリジナリティに溢れたルックスが見てとれます。
インテリアでは、これも軽量化が目的だったようですが、2脚のフロントシートが小振りなバケットシートを装着。ブランドは確認できませんでしたが、コルビューの小さなバケットシートのように見受けられましたものに交換されていました。
ダッシュボードなどはオリジナルのままでしたが、ミケロッティがデザインしたエクステリアと同様にイタリアンテイストに溢れたもので、今でも全く古さを感じさせない仕上がりを保っていました。個体が残っていて、その開発者とも連絡が取れるとのことで、より深く掘り下げたリポートは、また別の機会に取り上げたいと思っています。