ナンバー付きにこだわりストリートに残ったHOT RODも
もちろんレース場にステージを移すことを拒んだ者もいた。彼らはあえてナンバー付のストリートカーでスピードを競うことにこだわり、頑なにイリーガルなドラッグレースを繰り広げていた。1950年代後半から60年代になると、アメリカの自動車はその好景気に圧されて巨大化し、豪華絢爛を極めるようになる。そんな豪華な最新の自動車に、見た目はポンコツな改造車がストリートのシグナルレースで後塵を浴びせる様子に、多くのスピードフリークたちが憧れたのだ。
この時代のカスタムカー事情は、ジョージ・ルーカス監督で無名時代のハリソンフォードが黄色い1932年型フォードのホットロッドに乗るボブを演じ、1962年当時のカリフォルニアを描いた映画「アメリカン・グラフィティ」に詳しいので、見たことのない人はぜひ参考にしてほしい。
スピードよりも容姿を競うようになったホットロッド派生系たち
ここまで見てきたように、狭義での「ホットロッド」は1930年代の車両をベースに、速く走るための改造が施された車両を指す。ところが無用なものを外し、極限までスピードを追求したホットロッドのスタイルに、美を見いだす人も現れ、ホットロッドのスタイリングをモチーフにカスタムカー・ビルダーが製作したショーカーが数多く誕生するようになる。のちにビレットホイール製造で日本でもその名前が知られるようになる「BOYD(ボイド)」も、カーショー用のホットロッド製作を手がけたショップのひとつだ。
カーショーを目的にドレスアップされた車両は本来の「ホットロッド」の定義に反する面も多いのだが、時代とともに定義は拡大解釈されるようになり、さまざまな派生系が誕生する。本来速く走るために誕生したホットロッドを街乗りで快適に乗るために、より現代的なサスペンションなどの最新装備やエアコンなどの快適装備を装備した「ストリートロッド(STREET ROD)」と呼ばれるスタイルもそんな派生系のひとつ。
合わせてベース車両も1930年代の車両に限らず、1950年代ごろまでの幅広い車種をベースとする車両も「ホットロッド」と呼ばれるようになっていった。こうして本来の意味からはかけ離れてしまったものの、ホットロッドという言葉は半世紀を経過した今でも残っているのだ。