「キャンプ」がレジャーとして成立し始めた時代へタイムスリップ
古本趣味をもつ筆者は最近、イギリスの古本屋から1冊の本を手に入れた。今から100年以上前の1907年に、ロンドンの「アーミー&ネイビー・ストアーズ(Army & Navy Stores)」という百貨店が刊行した全商品カタログで、総ページ数1282とおそろしく分厚い豪華本だ。
店名もやたらイカツイのだが、ここは1871年に軍隊の将校とその家族向けの生活協同組合として発足したものの、どんどん業務を拡大した結果、今回手にしたカタログが発行された1907年ころには「中流階級」むけの大規模百貨店となっていたのだ(1973年に「ハウス・オブ・フレーザー」に買収される)。
このカタログからキャンプ用品を中心に紹介し、20世紀初頭のアウトドア事情を垣間見てみよう。
20世紀初頭のイギリスの経済感覚は?
まずカタログを見る前に、当時のイギリスのお金の価値を押さえておこう。当時のイギリスの貨幣は、「1ポンド=20シリング=240ペンス」と、暗算する気にならない面倒なシステムだった。1907年の1ポンドの価値を現在の日本円に換算すると約1万2000円。女性向けのちょっと洒落た上着が「2ポンド9シリング6ペンス」でおよそ3万円にあたると考えれば、なんとなく想像しやすいだろう。
この百貨店で扱っている小物のほとんどは「ポンド」表記ではなく「シリング」以下で済む価格帯で、たとえばテニスラケットはひとつ13シリング~27シリング、約8000円~1万6000円という感覚である。
とりあえず「1ポンド=1万2000円」、「1シリング=600円」のつもりでこの先をお読みいただきたい。
当時のイギリス人のお金と生活レベルの関係について調べてみると、年収1000ポンド以上が企業の経営者、医者、弁護士といった「アッパーミドル」。年収100~300ポンドくらいの事務職員や下級官吏が「ロウワーミドル」と呼ばれていた。そしてここ「アーミー&ネイビー・ストアーズ」は、年収300~1000ポンドまでの「ミドルミドル」、ザ・中流の人々がメインターゲットの百貨店だった。
なお、ちょうど1907年はイギリスで所得税の改革が行われた年で、年収160~700ポンドの層に段階的に「低額所得控除」が適用されている。年収160ポンド以下は所得税の対象外だった。そしてこの時代のイギリスの人口の4分の3を占めていた「労働者階級」は、ベテランでも年収100ポンドに届くかどうか……。バリバリの格差社会だった側面も忘れてはいけないだろう。それを踏まえて、「シルバー製ティーポット」が1つ7ポンドなんてのを見ると、しみじみしてしまう。
クルマが大衆化する前、キャンプ行くなら「馬車」か「ボート」で
1907年といえば第一次世界大戦前の前で、自動車はまだまだ富裕階級だけのもの。クルマの大衆化のきっかけとなった「フォード・モデルT」が、大西洋の向こうのアメリカで発売されるのは翌1908年のことだ。
ミドルクラス向けのこのカタログにも自動車関連グッズはほとんど載っていないのだが、2輪の「モーターサイクル」用ポンチョが39シリング6ペンス(約2万4000円)で売られていた。首まわりと両手首にラバーを使った防水仕様で、なにより「メルセデス」ブランドなのが興味深い。ドイツの「ダイムラー」社が市販車に「メルセデス」のブランド名を使うようになったのは1902年のことだが、この1907年、クルマやバイクの関連用品も「メルセデス」の商標を使って展開していたらしい。
さて、遊牧民や軍隊や探検隊ではない、レジャーとしての「キャンプ」は19世紀末のイギリスで始まった。自動車が普及していない時代であるし、テントなどのキャンプ用品の小型化や軽量化についてもまだまだ発展途上の時期で大きく重く、「キャンプに行く」というと、幌馬車やボートに荷物を積んで移動するのが一般的だった。とくに19世紀末にはボート遊びがブームだったこともあり、もっともシンプルでコンパクトなテントとしては2ポールのA型テントが「ボーティング・テント」として普及していた。
「近代キャンプの父」と呼ばれるイギリス人、トーマス・ハイラム・ホールディング(Thomas Hiram Holding)は身軽に移動できる「自転車キャンプ」を実践して普及させた人物で、この「ボーティング・テント」を愛用。1908年に「キャンパーズ・ハンドブック」を刊行してベストセラーとなり、それ以降、身軽なキャンプスタイルが世界的に進化していくこととなる。
また、これもイギリス発祥である「ボーイスカウト」が創設されたのも1908年。この年を「近代キャンプ元年」と言ってもいいだろう。であれば、今回みている1907年のキャンプグッズは、まさしく「夜明け前」というわけだ。