クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB

クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

  • TOP
  • CLASSIC
  • アバルト史上最高の美しさに異論なし! 速さも圧巻だった「アバルトOT1300」という名の宝石
CLASSIC
share:

アバルト史上最高の美しさに異論なし! 速さも圧巻だった「アバルトOT1300」という名の宝石

投稿日:

TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/FCA

勝つことを義務付けられたチャンピオン後継モデル

 1953年から始まった世界スポーツカー選手権(World Sports car Championship)は、1962年から国際マニュファクチャラーズ選手権(International Manufacturers Championship)に移行。主役がスポーツカーからGTカーに交代しました。

 同時に排気量によって3つのディビジョン(1000cc以下、2000cc以下、2001cc以上)が設けられ、それぞれに選手権タイトルが掛けられることに。1000cc以下のディビジョン(以下:Div)1ではアバルトが席捲し、750ccクラスと850ccクラスも含めて完全制覇。2000cc以下のDiv.2にもアバルト・シムカ1300が参戦し、1964~1965年には1300cc以下のクラスで連覇を果たしています。フィアット・アバルト・シムカ1300

 1965年にはディビジョンの排気量区分が変更されDiv.1は1300cc以下とされていますが、初代チャンピオンとなったアバルト・シムカ1300の後継モデルとして、1966年にデビューしたモデルがフィアット・アバルトOT1300でした。フィアット・アバルトOT1300

 アバルト・シムカ1300が、シムカ1000のシャーシ(フロアパン&サスペンション)やミッションを流用していました。それに対してフィアット・アバルトOT1300は、フィアット600の上級モデルとして1964年に登場したフィアット850をベースとして、サスペンションなどのコンポーネントを流用。その手法はフィアット600をベースとしたレコルド・モンツァから1000ビアルベーロへと続く、一連のスポーツカーと同じでした。

 そして1000ccのビアルベーロ(ツインカム)エンジンの982cc/102psに対して、1289.5cc/147psとパフォーマンスが引き上げられたのと同時に、ボディデザインも一層流麗なものへと昇華していました。フィアット・アバルトOT1300

 トリノのカロッツェリア・シボーナ&バサーノが担当したボディ(カウルワーク)にはグラスファイバー(FRP=ガラス繊維で強化されたプラスチック)が採用されていたことも、流麗なデザインの一因となっていました。そのために、空力にも配慮したデザインで纏められていました。

 一方で1967年にマイナーチェンジを受けて誕生したシリーズIIでは、ルーフに立てられたペリスコープ(潜望鏡)のようなエアインテークが大きな特徴となって、流麗ななかにも“遊び心”が感じられるデザインに仕上がっていました。フィアット・アバルトOT1300

 半球型燃焼室を持ったシリンダーヘッドを意味するテスタ・ラディアーレや、ツインカムを意味するビアルベーロなどを車名に使用することの多かったアバルトですが、OTシリーズのOTは、ツーリングカーとして公認されたことを意味するOmologato Turismoの頭文字を繋げたものです。1300ccの2シーターなのでツーリングカーとしての公認はあり得ません。事実、国際マニュファクチャラーズ選手権から移行した国際スポーツカー選手権(International Sports Car Championship)でも1300cc以下のGTカーとして参戦し1966~1967年に連覇を果たしています。

 しかしこれはフィアット850ベルリーナ(セダン)をベースにしたフィアット・アバルトOT850ベルリーナ、同OT1000ベルリーナをリリースしており、一般的にはそのファミリーモデルと位置づけた結果のネーミングだと理解されています。フィアット・アバルトOT850ベルリーナ

 アバルト&C.のオーナーであるカルロ・アバルト自身、余り細かなことには拘泥しない性格だったとも伝えられています。アバルトだけにアバウトだった!? とのジョークもあるようです。

 ともかく、ツーリングカーやGTカー/スポーツカーのレースにおいて、小排気量クラスでは敵なしだったアバルト。その一連のレーシングカーのなかでもフィアット・アバルトOT1300は、最強にしてもっとも美しいマシン、そして美と速さを追求した究極のアバルトとして、今もファンの心を掴んで放さない1台となっています。

12
  • アバルトのエンブレム
すべて表示
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
著者一覧 >

 

 

 

 

 

 

 

RECOMMEND

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

 

 

 

 

 

 

 

人気記事ランキング

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

AMW SPECIAL CONTENTS