美と速さを追求した究極のアバルト
イタリアの大メーカー、というよりも現在ではフィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)とプジョー・グループ(PSA)との合併により世界第4位のアライアンス、ステランティスの一員となっているフィアット。これまでにも優れたコンパクトカーを大衆に供給してきたメーカーです。
そしてそのフィアットの優れたコンパクトカーをベースに、ハイパフォーマンスカーを産み出してきたのがアバルトでした。独立したチューナーからスポーツカーメーカー、吸収されてフィアットの一部門として活動を続けたのち現在では再び独立し、ステランティスの一員として活動を続けています。
そんなアバルトが、かつてリリースしたフィアット・アバルトOT1300は、美と速さを追求した究極のアバルトとして今も根強いファンから羨望の眼差しを集めています。今回は、そんなフィアット・アバルトOT1300の出自を振り返ってみることにしました。
何を言っても速いクルマは美しい
カルロ・アバルトが1949年に設立したアバルト&C.は設立当初から、フィアットやフランス版のシムカなどをベースとしたレーシングカー/スポーツカーの製作・販売とそれらのエンジンチューニングを進めていました。その傍らで、フリーフロー・エクゾースト・システム(マルミッタ・アバルト)と名付けたマフラー(排気システム)の生産販売も行い、これが営業の2本柱となっていました。
しかし同社の経営を支えていたのは後者のマフラーで、前者なかなか採算ベースに乗せることができませんでした。そんな流れが続いていましたが1955年にフィアットがリリースしたフィアット600用に開発されたフィアット750デリヴァツィオーネ、そして1961年に登場したフィアット・アバルト850TCがヒット商品となり、フリーフロー・エクゾースト・システムとの2本柱が確立しています。
またこれと並行して、ベースをフィアット1100や1400からフィアット600に変更して製作した、レコルド・モンツァから1000ビアルベーロへと続く一連のスポーツカーも、速くて美しいクルマと高い評価を受け、今でも名車の誉れ高いモデルとなっています。
以前に、アバルト1000ビアルベーロ の紹介でもふれたように、600や続いて登場した500“ヌォーヴァ・チンクェチェント”をベースに仕立てたコンプリートカーが速くて可愛いクルマであるのに対して、これら一連のスポーツカーは速くてカッコいいクルマに仕上がっています。そしてさらに美しさを追求し、具現化したモデルが1966年に登場したフィアット・アバルトOTシリーズでした。
昔から言い旧されたレーシングカーを表すフレーズに、“速いクルマは美しい”というのがあります。これについては「レースに勝つと、それだけで格好よく見える」と納得できますが、その一方で「サーキットまで来てエンジンやサスペンションをバラしていると、とてもクルマを磨いている暇などはない。でも、クルマをちゃんと仕上げてサーキットに来ていると、何もすることがないからクルマを磨き上げる時間的余裕がある。だから綺麗なクルマは速い」と分析する向きもあります。
それはともかく、今回のメインテーマとなっているフィアット・アバルトOTシリーズは、開発の段階から速さと美しさを追求し、具現化した1台となりました。
勝つことを義務付けられたチャンピオン後継モデル
1953年から始まった世界スポーツカー選手権(World Sports car Championship)は、1962年から国際マニュファクチャラーズ選手権(International Manufacturers Championship)に移行。主役がスポーツカーからGTカーに交代しました。
同時に排気量によって3つのディビジョン(1000cc以下、2000cc以下、2001cc以上)が設けられ、それぞれに選手権タイトルが掛けられることに。1000cc以下のディビジョン(以下:Div)1ではアバルトが席捲し、750ccクラスと850ccクラスも含めて完全制覇。2000cc以下のDiv.2にもアバルト・シムカ1300が参戦し、1964~1965年には1300cc以下のクラスで連覇を果たしています。
1965年にはディビジョンの排気量区分が変更されDiv.1は1300cc以下とされていますが、初代チャンピオンとなったアバルト・シムカ1300の後継モデルとして、1966年にデビューしたモデルがフィアット・アバルトOT1300でした。
アバルト・シムカ1300が、シムカ1000のシャーシ(フロアパン&サスペンション)やミッションを流用していました。それに対してフィアット・アバルトOT1300は、フィアット600の上級モデルとして1964年に登場したフィアット850をベースとして、サスペンションなどのコンポーネントを流用。その手法はフィアット600をベースとしたレコルド・モンツァから1000ビアルベーロへと続く、一連のスポーツカーと同じでした。
そして1000ccのビアルベーロ(ツインカム)エンジンの982cc/102psに対して、1289.5cc/147psとパフォーマンスが引き上げられたのと同時に、ボディデザインも一層流麗なものへと昇華していました。
トリノのカロッツェリア・シボーナ&バサーノが担当したボディ(カウルワーク)にはグラスファイバー(FRP=ガラス繊維で強化されたプラスチック)が採用されていたことも、流麗なデザインの一因となっていました。そのために、空力にも配慮したデザインで纏められていました。
一方で1967年にマイナーチェンジを受けて誕生したシリーズIIでは、ルーフに立てられたペリスコープ(潜望鏡)のようなエアインテークが大きな特徴となって、流麗ななかにも“遊び心”が感じられるデザインに仕上がっていました。
半球型燃焼室を持ったシリンダーヘッドを意味するテスタ・ラディアーレや、ツインカムを意味するビアルベーロなどを車名に使用することの多かったアバルトですが、OTシリーズのOTは、ツーリングカーとして公認されたことを意味するOmologato Turismoの頭文字を繋げたものです。1300ccの2シーターなのでツーリングカーとしての公認はあり得ません。事実、国際マニュファクチャラーズ選手権から移行した国際スポーツカー選手権(International Sports Car Championship)でも1300cc以下のGTカーとして参戦し1966~1967年に連覇を果たしています。
しかしこれはフィアット850ベルリーナ(セダン)をベースにしたフィアット・アバルトOT850ベルリーナ、同OT1000ベルリーナをリリースしており、一般的にはそのファミリーモデルと位置づけた結果のネーミングだと理解されています。
アバルト&C.のオーナーであるカルロ・アバルト自身、余り細かなことには拘泥しない性格だったとも伝えられています。アバルトだけにアバウトだった!? とのジョークもあるようです。
ともかく、ツーリングカーやGTカー/スポーツカーのレースにおいて、小排気量クラスでは敵なしだったアバルト。その一連のレーシングカーのなかでもフィアット・アバルトOT1300は、最強にしてもっとも美しいマシン、そして美と速さを追求した究極のアバルトとして、今もファンの心を掴んで放さない1台となっています。