全日本選手権でタイトルを戴冠する
そして1985年、ニスモが本格始動したこの年に、全日本ラリー選手権のタイトル奪取を目指してニスモは神岡と契約。この年はカローラ/スプリンター(AE86型)勢が全盛の年で、三菱(山内伸弥、大庭誠介、羽豆宏一)はランサーターボからスタリオンターボに切り替え、そして、これまで国内戦には直接関与してこなかった日産が、ニスモ主導で切り札となる神岡政夫を起用するという構図だった。
全8戦で組まれた1985年の全日本選手権シリーズは、AE86が5勝(後藤3勝、桜井1勝、上坂1勝)、フェアレディZが2勝(神岡)、スタリオンが1勝(羽豆)という内訳だった。結果的にコンスタントにシリーズポイントを稼いだ神岡が総合ポイントでトップに立ち、参戦初年となったニスモに全日本ラリー選手権のタイトルをもたらした。
Z31型フェアレディZが積むVG30ET型エンジンは230ps/34.0kg-m(グロス値)を発生し、当時の日本車が搭載するエンジンのなかでは最高値を誇っていた。まさに強力なラリーウェポンと呼ぶにふさわしい性能だったが、3ナンバー枠となる車体の大きさと1300kg台の車重が、狭い林道を主体とする全日本ラリー選手権でどうか、と懸念されていた。実際、130ps/15.2kg-mのエンジン性能と900kg台前半の車重で作られたAE86勢とは好対照の存在、戦いの内容となっていた。
ちなみに、全日本ラリー選手権のタイトル獲得車は、この1985年のフェアレディZがFR車にとって最後の年となる。翌1986年からスバル・レオーネ、1987年ファミリア4WDとターボ4WD台頭の時代を迎え、1988年に傑作車U12型ブルーバードSSS-Rを投入した日産は、ふたたび全日本ラリー選手権のタイトルを獲得(綾部美津雄)することになる。