自分だけが楽しめればいいというスタイルは厳禁
大自然のなかで自由を楽しむキャンプ。心を開放し日ごろのストレスを発散できる素敵な趣味だが、キャンパーのなかには「自由」という意味を履き違えてしまい、自己中心的な振る舞いで周囲に迷惑をかける輩も存在する。そんな人にならないためにも、しっかりとした人間性を持つ「尊敬されるキャンパー」について考えてみたい。
キャンプのスタイルは十人十色、自分スタイルで楽しむのが基本だが、そこにはルールとモラルが必要になる。キャンプという趣味は「自由=何をしても良い」のではなく、自己管理が求められる「モラルに基づいた遊び」であることを忘れてはならない。
キャンプという趣味において、それぞれのキャンパーが自分なりの理想像を描いていることだろう。しかし、その理想や憧れもまた十人十色であり、第三者が理想を押し付けるものではないが、周囲にリスペクトされるキャンパーになることが重要だ。
初対面の子どもですら慕うような存在が理想
では、尊敬されるキャンパーの条件とはどんなものなのだろうか。高級SUVに乗り、最新のキャンピングギアでグランピングを楽しむ。もしくは雰囲気のあるクラシックカーと年季の入った道具で、ノンビリとした時間を満喫する……。どちらも憧れではあるが、そこには人としての魅力は介在しない。スタイルや道具に憧れてはいるが、やはりリスペクトされるべきは人間性の豊かさであろう。尊敬するべき人間性とは何を意味しているのかと考えたとき、周囲の人に対する心遣いやルールやモラルを遵守した行動に現れる。
ここからは個人的な話になってしまい恐縮だが、ボクがキャンプを始めたきっかけを作ってくれたひとりの男がいる。口数の少ない寡黙な先輩なのだが、サイトを設営するときには周囲のキャンパーたちと笑顔で挨拶を交わし、薪に火が着かずに困っているキャンパーを何気なくサポートをする。そして、子どもたちと同じ目線で遊びながら、キャンプの楽しさやルールを教えているナチュラルな姿は男惚れするものであった。
子どもたちからは「隊長」と呼ばれ、先輩を目当てに遊びに来る子どもたちの笑顔こそが「人間力」の証であることを痛感させられた。男ふたりの寂しいキャンプではあったが、周囲のキャンパーさんから「これ食べませんか」と差し入れをいただき、夜にはお酒のお誘いをいただくこともあった。
寡黙な先輩のまわりには、不思議と人が集まってくる。これも人としての魅力にほかならない。キャンプ初心者だったボクは撤収のときには灰や燃え残りの炭をしっかりと処理し、地面をもとのとおりに慣らして立ち去ることも教えてくれた。そのときもボクに対して「これをやれ」とは言わず、自分から動く後ろ姿はカッコ良く、先輩みたいなキャンパーになりたいと強く思ったのである。