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王者カウンタックの正式ライバル! スーパーカーブームの陰の功労者「フェラーリ512BB」とは

“スーパーカー”の世界をけん引してきたフェラーリ512BB

 1970年代後半、若い世代を中心に国内では急激な“スーパーカー”ブームが巻き起こりました。少年漫画「サーキットの狼」の人気が後押ししたとされていますが、きっかけとなった1台が何だったのかは明確ではなく、そもそも“スーパーカー”についても明確な定義はありません。

 しかし、ランボルギーニ・カウンタックが“スーパーカー”を代表する1台だということに、疑問をさしはさむ余地はありません。そしてそのライバルに位置づけられるフェラーリ512BBも、“スーパーカー”を語る上で欠かせません。今回は“スーパーカー”のブームを分析すると同時に、フェラーリ512BBの来し方を振り返ってみようと思います。

“スーパーカー”王座に就いたランボルギーニとライバルたち

 打倒フェラーリ……あるいは打倒エンツォ・フェラーリ?……を目指してフェルッチオ・ランボルギーニが興したアウトモービリ・ランボルギーニ。1970年代に入ってリリースしたウラッコに代表されるベビー・ランボにV8エンジンを搭載しほかは、処女作の350GTVから一貫してV12エンジンを搭載してきました。

 これは明らかに王者たるフェラーリを意識したもので、V12のツインカム・エンジンやミッドシップ・レイアウトを、フェラーリに先駆けて採用しています。そして1966年に登場したミウラP400で“スーパーカー”のメーカーとして、そのポジションを確立させました。

 そのミウラの後継発展モデルとして1973年に登場したカウンタックLP400が決定打に。フェラーリへのチャレンジャーとしてスタートしたランボルギーニは、“スーパーカー”の王者と称されるまでになったのです。

 ミッドシップにガルウイングドア……正確にはシザースドア、そしてリトラクタブルヘッドライトという“三種の神器”を備えていただけでなく最高出力385ps/最高速度300km/hという数字も、“スーパーカー”のトップランナーと呼ぶにふさわしいパフォーマンスを連想させていました。

 モータースポーツの最高峰であるF1GPを戦いながら、スポーツカーでも世界最高レベルのモデルをリリースしてきたフェラーリは一転、チャレンジャーとしてカウンタックに挑戦状をたたきつけることになるのです。その前にほかのライバルたちも見ておきましょう。

「サーキットの狼」に登場したことで人気が高まっていた“スーパーカー”としては、主人公の愛機であるロータス・ヨーロッパ以外にも、ポルシェやフェラーリなどがありました。ロータス・ヨーロッパは、最終モデルとなったヨーロッパ・スペシャルでも1.6L直4ツインカムを搭載していましたが、最高出力は126psに過ぎませんでした。

 ほかのライバルに比べるとデータ的には見劣りしてしまいますが、ハンドリングでは一歩も二歩も先んじているところがありました。これは“スーパーカー”というよりもライトウエイトのピュアスポーツカーと言うべきでしょうか。

 ポルシェは、主人公のライバルが愛用していた911カレラRS以外に、911(930)ターボなども“スーパーカー”にカテゴライズされるモデルとなっていたのです。また伊米合作とも言うべきデ・トマソ・パンテーラも立ち位置こそ微妙でしたが、流麗なボディとV8エンジンをミッドシップに搭載するパッケージングでは充分に“スーパーカー”を名乗る資格がありました。そしていよいよ、スポーツカーの世界王者、フェラーリの反撃が始まります。

“スーパーカー”ではチャレンジャーとなったフェラーリ

 ランボルギーニが350GTをリリースした1960年代の半ば、フェラーリのフラッグシップモデルは250GT系から275GT系へとブラッシュアップが図られていました。当時のフェラーリの車名は、気筒辺りの排気量を名乗っていましたから、この車名変更は、60度V12の排気量が3Lから3.3Lへと拡大されたことを意味しています。

 ランボルギーニの350GTも同じく60度V12エンジンを搭載していましたが、3.5Lのツインカムで、最高出力は320ps、最高速度も280km/hを誇っていました。これに対してフェラーリの275GTは3.3Lのシングルカムで最高出力280ps、最高速度も270km/hでしたから、パフォーマンスでは明らかに後れを取っていたのです。

 それがエンツォの、フェルッチオに対する敵愾心に火をつけたのでしょうか、1966年には275GTベルリネッタのエンジンをツインカム化して275GTB/4へと進化させます。カタログデータの最高速度260km/hはともかく、最高出力は300psと大台に乗せていました。

 さらに1968年には4.4Lのツインカムとして最高出力を352psにまで引き上げた、60度V12エンジンを搭載する365GTB/4デイトナをリリースしています。

 一方、ライバルのランボルギーニは1966年に、4L 60度V12(最高出力350ps)をミッドシップに搭載したミウラP400をリリース。“スーパーカー”としての一歩を踏み出すと、さらに1972年にはシザースドアを持ったカウンタックLP400をリリースしました。フェラーリを一気に引き離しにかかったのです。

 そのLP400に対するフェラーリの次の一手が、1973年に登場した365GT4/BBでした。12気筒エンジンを搭載するフェラーリとして初のミッドシップレイアウトを採用。81.0mmφ×71.0mmのボア×ストロークは共通でしたが、それまでのバンク角が60度のV12からバンク角180度のV12へと、エンジンが一新されています。

 ちなみに、車名の末尾にあるBBはベルリネッタ・ボクサー(Berlinetta Boxer)の頭文字を繋げたもの。BerlinettaはBerlina(=セダン)に、小さいとか可愛いを意味する接尾語のettaが加わったものです。例えばアルファ ロメオのジュリアに対してその妹分ということでジュリエッタが有名ですが、大きな4ドアセダンに対して小さな2ドアクーペをBerlinettaと呼んでいます。

 Boxerは一対のピストンが向かい合うように上昇と下降を繰り返すさまが、ボクサーがパンチを打ち合っているように見えることから水平対向エンジンのことを示すものです。512BBのエンジンは、厳密には水平対向12気筒ではなく180度V12なのですが、180度V12も含めて水平対向エンジンと呼ぶこともあり、フェラーリでもその例に倣って、こう呼ぶようになったのかもしれません。

 それはともかく、365GT4/BBのエンジンは最高出力も365GTB/4デイトナの352psから380psにまでパワーアップされ、カウンタックLP400の385psと肩を並べることに。またカタログ値の最高速度も300km/hの大台を突破して302km/hとされました。じつはこの数字はカウンタックの最高速度300km/h(LP400/LP400S共通)を2km/hだけ上まわるもので、その数値には必要以上にスポットライトが当てられることになったのです。

 こうして誕生した365GT4/BBですが、3年後の1976年には最終発展形の512BBが登場しています。これはモデルチェンジというよりも正常進化のマイナーチェンジでした。ボディは基本的には変わりなく、リヤのオーバーハングが40mm延長され、テールライトが丸型の3連から2連へと変更、テールパイプも左右3連ずつだったものが左右2連の計4本になりました。

 またフロントにはリップスポイラーが装着され、タイヤサイズが太くなったことで拡げられたリヤのホイールアーチの直前にはブレーキ冷却用のエアインテークが設けられています。

 一方エンジンは、ボアを81.0mmφから82.0mmφへと拡げるとともにストロークも71.0mmから78.0mmへと延長することで排気量が4390ccから4942ccへとアップ。エンジンのキャラクターを変え、トルク特性を改善して扱いやすさを追求した結果、最高出力は380psから360psへと引き下げらましたが、カタログ値の最高速度は302km/hを保っていました。

 さらに1981年には、それまで4基備えていたウェーバーのトリプルチョークを、ボッシュのKジェトロニック・インジェクションに交換した512BBiが登場。最高出力は340psにまで低下し、カタログ値の最高速度も、より現実的な283km/hとされています。じつはライバルのカウンタックも当初のLP400では385psだった最高出力が、5年後の1979年に登場したLP400Sでは375psに引き下げられるなど、闇雲に最高出力を求めるパワーウォーズからは脱していました。

 その後、512BB/BBiは1984年に後継モデルのテスタロッサにバトンを渡し、一方のカウンタックも1990年には生産を終え、後継のディアブロにフラッグシップの座を明け渡しています。しかし、1980年代半ばまでランボルギーニのカウンタックとフェラーリの512BB/BBiが、2トップとして切磋琢磨しながら“スーパーカー”の世界をけん引してきたことは紛れもない事実です。

 ところで、筆者は学生時代からモータースポーツ専門誌の地方レポーターとしてレース取材をしていたこともあり、ハイパフォーマンスを目指すならやはりレーシングカーが最高峰でした。“スーパーカー”と言っても所詮はレーシングカーよりもレベルが低い、と意気がっていて、その専門誌の編集部で製作した“スーパーカー”特集のムックを顧みることもありませんでした。今こうして資料を紐解きながら当時を振り返ってみると、なかなか興味深いものがあったのだと、あらためて感じ入っています。

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