西側の「パクリ」から始まったソ連のモータリゼーション
いま国際情勢の台風の目となっている国、ウクライナ。しかし多くの日本人にとっては馴染みが薄いのも事実で、かつて「キエフ大公国」があったとか、「聖ソフィア大聖堂」がある、など知っていれば良い方だろうか。
ウクライナの地政学的な解説はほかのメディアにお任せして、ここではウクライナの工業国家としての顔をご紹介したい。冷戦時代、西ドイツの「フォルクスワーゲン」、東ドイツの「トラバント」などと同じように、ソヴィエト連邦にも安くて誰でも乗れる大衆車として「ザポロージェツ」があった。それを製造していた工場「ZAZ」こそ、ウクライナの自動車産業の柱なのである。
初代(ZAZ-965):見た目は「フィアット600」風だが……
ところでこの丸っこい顔を見て、「ルパンのクルマ……ぽい?」と感じた人もいるはずだ。それもそのはずで、ソ連側が堂々と「フィアット600をパクった(要約)」と明言しているのである。
第二次大戦後の1950年代半ばになると、ソ連も国内経済が安定して成長してきて、安くて多くの国民が所有できる小型乗用車を計画した。プロジェクトは1956年秋にモスクワでスタートし、自動車省の大臣ニコライ・ストローキンは、イタリアで1955年に発売されたばかりのコンパクトカー「フィアット600(セイチェント)」をそのお手本に、「共産主義的に発展させる」(つまりパクる)ことを決定したのだった。
最初のプロトタイプは「モスクヴィッチ444」の名で1957年10月に完成し、モスクワで製造する方針で開発は進められていたのだが、途中で生産拠点が変更となった。ウクライナ南東部、ドニエプル川沿いの都市「ザポリージャ(ロシア語ではザポロージェ)」で農業用の収穫機を製造していた工場が、大規模な自動車工場へと大変貌をとげる。工場の名前は「ザポリージャ自動車工場」、略して「ZAZ」で、現在もウクライナを代表する自動車メーカーとして事業を継続している。
ソ連初のコンパクトカーは「ZAZ-965」と改名し、工場の地名にちなんで「ザポロージェツ」(日本ではザポロジェッツと呼ぶ人もいた)とのニックネームで呼ばれることとなった。第1号車は1960年11月22日に完成。その後、1962年にマイナーチェンジして「965A」となりつつ、このカタチのザポロージェツは1969年5月まで、合計32万2106台が生産された。また、ソ連の国外へも「ヤルタ」または「エリエット」の名で輸出されている。
ルックスや、リヤエンジン・リヤ駆動のレイアウトといった基本設計こそフィアットを踏襲しているが、中身はソ連のオリジナル。ソ連初の空冷V型4気筒エンジンを搭載し、4輪独立懸架サスペンションも採用されていた。V4エンジンは当初746ccの23psで、1962年にマイチェンした「965A」では887ccにアップして27psに、さらに1966年からは30psにパワーアップしている。
サイズは全長3330mm×全幅1395mm×全高1450mmでホイールベース2160mm、車両重量は650kg。ネタ元のフィアット600(全長3125mm)よりはひとまわり大きかった。
なお写真の黄色いZAZ-965は、同じ旧ソ連のラトビアの自動車博物館にて記者が撮影したもの。館員の説明によれば1962年製の個体で、シートバックの高いスポーティなシートに換装されて純正よりも幅広のタイヤを履き、エンジンとダッシュボードをマイチェン後の「965A」から移植し、さらに明るいボディカラーでリペイント。このくらいの「チューニング」は1970~80年代のソ連のクルマ好きたちの間でもお約束だったそうだ。
幻に終わったソ連版「ワーゲンバス」
初代ザポロージェツの成功を受けて、ZAZの工場長ユーリ・ソロチキンは考えた。西側では「フォルクスワーゲン・ビートル」のプラットフォームをアレンジした小型実用車、通称「ワーゲンバス」がヒットしている。ならばZAZ-965をベースにしたトラックやバンを作ればソ連のマーケットを席捲できるのでは?
そこで「ZAZ-970」と四駆の「ZAZ-971」をさまざまなタイプで試作したのだが、エンジンが「V型4気筒」だったのが仇になった。VWの水平対向4気筒と違って、高さのあるV4エンジンをリヤに積んでいるとフロアが高くならざるをえないのだ。結局、970/971のプロジェクトは実現することなく消えてしまった。
2代目(ZAZ-966/968):ノッチバックセダンに共産主義的進化
初代の好調を受けて、第2世代ザポロージェツ「ZAZ-966」が1966年11月にデビューした。ボディスタイルを一新して、今度はすべてウクライナのZAZが設計。2ドアのノッチバックセダンへと進化したのだが……西ドイツの「NSUプリンツ4」との類似は、誰が見ても明らかだった。
ボディサイズは拡大して全長3730mm×全幅1540mm×全高1370mmとなったが、ホイールベースは2160mmのまま。いわゆる「スーサイドドア」は廃止され、リヤのエアインテークが大型化した。「966」のリヤに積むV4エンジンはしばらく先代「965A」の887cc/30psをそのまま使っていたが、1968年に1197cc/41psまで強化した「966B」に進化。車両重量がわずか780kgに留まったため、最高速度は121km/hを記録している。
なおベルギーに輸出されたモデルではエンジンが「ルノー8」用に換装されていた。
そして1971年に「ZAZ-966」の後継「ZAZ-968」が出たが、変更はマイナーチェンジのレベル。ウインカーが大型化してフロントブレーキが改良されたほか、インテリアはさらに質素なものになっている。フロントフェイスは、「966」の縦型メッキグリルが備わった仕様のほか、水平基調のスッキリしたデザインも追加されている。
ザポロージェツの最終バージョン「ZAZ-968M」は1979年に登場。ボディサイドのエアインテークが無くなったほか、エクステリアはメッキパーツから黒い樹脂製に。1197ccのV4エンジンは最終的に51psまでパワーアップされた。
ソ連が1991年に崩壊したあとも、共産世界の大衆車・ザポロージェツは1994年まで生産されていた。
運転補助装置のついた「福祉車両」もあった
ところで冷戦時代のソ連というと、日本からは「鉄のカーテン」の向こう側で、おそろしいイメージばかりかもしれない。だがその一方で、福祉政策に関しては先進国だった側面も忘れてはならないだろう。
幅広い市民に移動の自由をもたらす、という理念のもとに作られた「ザポロージェツ」は、手足が不自由な人のための運転補助装置を追加した「福祉車両」仕様も数多く生産された。身体障がい者や、戦争からの帰還兵には無料、もしくは大幅な割引で提供され、多いときにはZAZの生産量の25%を福祉車両が占めることもあったそうだ。
上述の黄色い「ZAZ-965」と同じくラトビアの博物館にあった赤い1973年製「ZAZ-968 B2」も、もともとは手に障がいのあるドライバー向けの仕様だったそうなのだが、残念ながら博物館に寄贈される前にスタンダード仕様に戻されたものだった。
そこで1992年時点での「ZAZ-968Mシリーズ」の、福祉車両の技術マニュアルを入手してみた。両足が動かせない人のための手動運転装置では、アクセル操作はステアリングホイール内のパドル、ブレーキはシフトスティックの脇のバー、クラッチ操作はダッシュボードのスイッチでできる構造だ。
ほか、左半身が不随なドライバーが右手と右足だけで運転するなど、多彩なにケースに対応した図が掲載されていた。
ZAZでは「ザポロージェツ」シリーズのあとも、「タブリア」シリーズなどを経て、現在はGM車などのライセンス生産を中心に、東欧のマーケットに向けたクルマを作っている。
ウクライナという国のひとつの歴史として、ZAZとザポロージェツを記憶の片隅に留めておきたい。