初代だけで22年間販売されていたデボネア
走るシーラカンス。最初にお断りしておけば、一体どこで誰がそう言い始めたのか筆者は知らないが、厳然たる事実でいえば、1964年に市販開始。最終的には1986年まで22年間、じつに1960、1970、1980年代を現役で通した長寿車が初代の三菱デボネアだった。
元GMのデザイナーが手がけた初代デボネアのスタイリング
初出は1963年の第10回全日本自動車ショーで、プロトタイプ(といってもほぼ市販型同然だった)として展示されたこのときの車名は「コルト・デボネア」。特徴は何といってもアメリカ車風味満載のスタイリングで、それもそのはず、元GMのデザイナーが手がけたものだったという。
角張ったボディ、ゴツいメッキのバンパーなど、いかにも威風堂々としたスタイリングではあったが、全長×全幅×全高=4670×1690×1464mmだから、現代の感覚に照らせば、5ナンバーの全幅のコンパクトなセダンということになる。
手元に初期のカタログがなく、写真でご紹介しているのは昭和53年、54年のもの。表紙には当時の三菱のロゴ(青と赤の直角三角形を向かい合わせたデザインのもの)があり、クルマ自体も、フェンダーミラーは角型ハウジングの立派なものが装着されている。
とはいえ、このときすでにデビューから13年が経過していることを考えると、シーラカンスの域に半分入っていたころだったといえる。外観では前後フェンダーのエッジ部分やフェンダーアーチにメッキのモールを使っているあたりがクラシカルだし、そもそもメッキの細かなパターンの彫りの深いフロントグリルが、デボネアの顔つきを印象づける。ただし初期型にあった前席ドアの三角窓はすでにない。
インテリアのページでは、コラム式のセレクター(シフトレバー)やステッキ式のサイドブレーキレバーなどが見てとれる。ATは“高性能自動3段変速のオートマチック機構”と書いてある。なおエンジンは、もともとは2Lでスタートしたクルマだったが、カタログの年式では2555ccの4気筒OHC、G54B型を搭載。この世代の三菱車に低公害エンジンとして搭載されたMCA JETで、サイレントシャフトと呼ばれた、クランクシャフトの2倍のスピードで回転する2本のシャフトがエンジンの振動を打ち消す仕掛けも盛り込まれていた。
なおデボネア単体の本カタログのほかに、総合パンフレット(1973年ごろ)の見開きもご紹介しておこう。こちらにはご紹介した本カタログよりもずっと早い年式の白いデボネアが載っているが、古いクルマのマニアの方なら、ギャランGTO、ギャランクーペFTO、それからマイナーチェンジ後の初代ギャランの姿にも「おお!」と目がいくはず。このパンフレットには“三菱オートガーデン”と記されており、少し前まで同社の本社があった東京・田町の三菱自販の地図が印刷されている。
2代目には電子制御サスペンションも設定
駆け足だがあわせてデボネアの歴代モデルを振り返っておくと、2代目は1986年の登場だった。ギャランΣ(シグマ)のプラットフォームをベースとしたFF車に生まれ変わり、車名もデボネアVになった。搭載エンジンもV6となって3Lと2Lを用意し、2Lにはスーパーチャージャーも設定された。
またサスペンション特性と車高を自動で制御する電子制御サスペンションも設定。室内はルーズクッションタイプのシートや本革調のインパネパッド、さらに足元にソフトな感覚を生む(カタログの記述より)ウレタン注入フロアマットなどを採用した。ボディサイズは全幅1690mmの5ナンバーサイズが基本(3L車は1725mm)だから、フラッグシップセダンながら扱いやすく、静かでなめらかな快適な乗り味は、当時の試乗で実感できたこのクルマの印象だった。
注文生産車だったAMG仕様
注文生産車だったAMG仕様や服飾ブランドのアクアスキュータム仕様なども出て、地味で大人しい印象だったこのデボネアV。やはり、インパクトがあったのは3000ロイヤルに設定された注文生産車AMG仕様だ。
今あらためてカタログを見返すと、初めて見たときの衝撃ほどではない気もするが、専用アルミホイールに装着された205/60R15 89Hタイヤ(ベースの3L車は195/70SR14)がAMG専用だったが、スペックはベース車に準じたものだった。オフィシャルにAMGを名乗るクルマが日本車から登場(ギャランにも設定があった)した事実は歴史に残る。
3ナンバーボディを採用した3代目
デボネア名義ではもう1世代、1992年に3代目が登場した。このモデルでは時代の流れを反映させ、全幅1815mmの3ナンバーボディを採用。筆者自身の記憶はやや曖昧なのだが、手元にあるカタログは“エグゼクティブ・シリーズ”と“エクシード・シリーズ”の2冊に分かれている。
前者がフェンダーミラー、後者がドアミラーというところから、どうやらパーソナル向けは後者だったようで、他方前者にはホイールベースを150mm伸ばしたモデルも追加設定されるなどした。
そしてデボネアはこの3代目で終了。後継車種としてプラウディアと、そのストレッチ版のディグニティ(皇室関連の行事の報道でよく見かけるあのクルマ)にバトンを渡すも、わずか1年で生産終了した。そして、2012年に日産フーガ、シーマのOEM車として生まれ変わっている。