クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB

クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

  • TOP
  • CLASSIC
  • スーパーカーなのか否か? 少年を熱狂させた「ロータス・ヨーロッパ」の正体とは
CLASSIC
share:

スーパーカーなのか否か? 少年を熱狂させた「ロータス・ヨーロッパ」の正体とは

投稿日:

TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/LOTUS

サーキットでも活躍! F1をオマージュしたカラーリングも登

 1966年に登場したロータス・ヨーロッパは、1957年に登場したセブンの後継モデルであることは先に触れましたが、ロータスの一連の開発ナンバーで言うとセブンが7番であるのに対してヨーロッパは46番。9年間で39台もの“新車”を開発していたことになりますが、その辺りはロードゴーイングカーだけでなくF1マシンから市販のミドルフォーミュラまでを生産していたロータスならではです。ロータス38

 ヨーロッパに関しては1966年のシリーズ1が46番で、1968年に登場したシリーズ2が54番となっています。ですが、じつはヨーロッパにはレーシングカーが派生していて、1966年の年末にはシリーズ1と同時に開発されていた47番、通称“47・ヨーロッパ”と呼ばれるレース仕様(とホモロゲーションモデル)がありました。ロータス47

 これはロータスが自前で開発した1.6Lツインカムエンジンを搭載するGTクラスのレーシングカーで、1968年にはグループ4のホモロゲーション(車両公認)を受けていました。前年までの国際スポーツカー選手権から国際メーカー選手権へと衣替えした、スポーツカーによる世界選手権のシリーズ第3戦、ブランズハッチで行われたBOAC 500kmでは、クラス2位のポルシェ・カレラ6に2周の大差をつけて2L以下のグループ4を制しています。ロータス47

 翌1969年には、待望の2Lエンジンを搭載した“62・ヨーロッパ”が登場していますが、これはフレームをスペースフレームに置き換えたまったくの別物。グループ4のGTカーではなくグループ6のレーシングスポーツカーで、1969年のBOAC 500kmでは2L以下のグループ6を制しています。また1970年代後半から1980年代序盤に人気を博していたグループ5、いわゆる“シルエットフォーミュラ”にもザクスピードでターボでチューンしたコスワースBDAエンジンを搭載するマシンが参戦していました。LOTOS・ヨーロッパシルエットフォーミュラ

70年代にデビューしたモデルからはツインカムエンジンを搭載

 話をロードゴーイング仕様に戻しましょう。1971年には開発ナンバー74番のヨーロッパ・ツインカム(TC)が登場しています。文字通りツインカム・エンジンを搭載したことが大きな特徴で、エランに搭載されているものと同じロータス-フォード・ツインカムと呼ばれる1558ccの直4ユニットです。最高出力は105psと、ルノー16用に比べて 3割近くパワーアップされていました。ロータス・ヨーロッパTC

 もうひとつの大きなエポックは、リヤのフィンが削られたこと。空力処理の意味合いもあったリヤのフィンは、斜め後方の視界が悪いと不評を買っていたユーザーの声に応える恰好でした。ちなみにそれまでのフィンを生やしていたモデルには、まるでパン屋さんが配達に使うパネルバンのように見えることから“最速のブレッドバン”のニックネームがありました。フィンを削った以降は、このニックネームも“最速のピックアップ”に変わっていました。ロータス・ヨーロッパS2

 さらに1972年9月には、最終型となるヨーロッパ・スペシャルが登場しています。こちらは開発ナンバーは74番のまま、ビッグ・バルブ・ユニットと呼ばれる、エラン・スプリントにも搭載されていた126psエンジンが搭載されています。ロータス・ヨーロッパSP

 また同年のF1GPでチャンピオンに輝いたチーム・ロータスの、JPSカラーをイメージさせるようなブラックにゴールドのピンストライプの走るボディカラーに仕立てられていました。当初の予定だとこのカラーリングは200台限定の計画でしたが、結局は1975年に生産が終了するまで継続され、さらにブラックだけでなくブリティッシュ・グリーンなどにもピンストライプが加えられるようになり、3130台のスペシャルが生産されることになりました。ロータス・ヨーロッパSP

 モデルライフとしては10年足らずと長くはなく、またパワー的にも最終モデルでさえ126psに過ぎませんでした。ですが、最終モデルでも車重は730kg、オリジナルモデルではわずか665kgと現在の軽自動車並に抑えられていて、またボディがコンパクトなことも特筆レベルでした。軽量コンパクトは、とくにスポーツカーにとっては永遠の正義であることを訴えていて、さすがはコリン・チャップマン、と思わずにはいられません。

12
すべて表示
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
著者一覧 >

 

 

 

 

 

 

 

RECOMMEND

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

 

 

 

 

 

 

 

人気記事ランキング

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

AMW SPECIAL CONTENTS