夏に向けて現在鋭意レストア中
先ごろ、旧いレーシングカーが発掘されました。それはマーチ832/MCS5・BMW。1983年に全日本F2選手権を戦ったあと、翌1984年には富士グランチャン(GC)シリーズを戦った歴戦の兵です。シャシープレートには832-8と刻印されたそのマシンは、EPSONのロゴからも分かるように、F1GPにフル出場する直前だった中嶋 悟選手が84年の富士GCでドライブしたマシンです。
さらにその前年、1983年シーズンには期待の新人として全日本F2にステップアップした高橋 徹選手が、デビュー戦の鈴鹿で2位入賞を果たし、シリーズ4戦目の鈴鹿ではコースレコードを更新する驚速タイムでポールポジションを奪った、栄光のマシンです。
マーチとBMWがタッグを組み誕生した最強マシン
マーチ832は、英国のコンストラクターMarch社が、1983年シーズンのF2レースに向けて開発した市販レーシングフォーミュラです。1980年シーズン用の802はそれまでのものとは一新された新設計のモノコックを採用し、1981年用の812と1982年用の822では、802の部分的な手直しで済ませていました。ですが、レギュレーションが一部変更されたことと、ラルト・ホンダの侵攻に応戦する意味もあって、832では3年ぶりにフレームへ大きく手を入れています。
とはいえ正常進化の域を出るには至らず、832をメンテナンスする国内のレーシングガレージや、国内で多くの車両にタイヤを供給していたブリヂストンのエンジニアは「832のキャラクターは、822のそれと大きくは変わっていなかった」とコメント。ちなみに、832は、アルミパネルを折り曲げて製作する、コンベンショナルなアルミモノコックとしては、最終形のモノコックとなっていました。
一方のエンジンですが、1970年代に直4ツインカム16バルブのBMW M12/7がベンチマークとなっていましたが、こちらもホンダの侵攻に対応する格好でBMWがワークス仕様のユニットを投入。マーチ・ワークスにのみ供給するようになりました。1983年にはこのマーチ・BMWのワークスマシンが国内にも導入されたのです。
最強マシンを手に入れたのは国内トップチームのひとつ、ヒーローズレーシングでした。当初はエースだった星野一義選手の愛機となるはずでしたが、星野選手が独立してチームを設立したために急遽、ヒーローズのナンバー2として新加入した新人の高橋選手がドライブすることが決定しました。
マーチ832/MCS5・BMWは当時の最強マシンだった1台
冒頭でも触れた通り高橋選手は、デビュー戦で2位入賞を果たし4戦目ではコースレコードを更新してポールポジションを奪って見せたのです。残念ながら、1983年のGC最終戦で高橋選手は事故により亡くなってしまいましたが、1984年シーズンには中嶋 悟選手がヒーローズに復帰、F2レースにはニューマシンのマーチ842・ホンダを投入し、件のマーチ832・BMWはムーンクラフト製のGC用カウル、MCS5を架装したマシンで参戦しました。
当時、全日本F2とともに最高峰に位置づけられていた富士GCシリーズは、それまでオープン2シーターのレーシングスポーツカーで戦われていました。ですが、1979年にレギュレーションが一部変更され、単座席の参戦も認められるように。マーチの新車でF2シーズンを戦った翌年には、スポーツカー用のカウルを装着してGCに参戦する、ということが一般的になりました。またGCでは1年落ちのF2シャシーに、ムーンクラフト製の最新カウルを装着するのが最強マシンのトレンドに。今回紹介するマーチ832/MCS5・BMWはまさに当時の最強マシンだった1台です。
風の流れがわかる男がデザインしたGCスペシャルのMCS5
1980年からF2ではグランドエフェクトカー(あるいはベンチュリーカー)に対して規制が強化されましたが、GCでも1984年からはグランドエフェクトカーが禁止されています。
グランドエフェクトカーというのはボディの下を流れる空気を利用して、マシンにダウンフォースを発生させようというものでしたが、大きな事故につながる危険性も指摘され、一度は禁止されることになったのです。F2の832では全面禁止とはなっていなかったため、サイドポンツーンの内部は部分的には翼断面に成形されていました。
しかし先述した高橋選手の死亡事故などもあり、GCでは1984年からグランドエフェクトカーが禁止され、サイドポンツーンはモノコック本体とは離してマウント。それぞれの底面はフラットとなり、モノコックとサイドポンツーンの間は空洞となりました。このカウルを製作したのはムーンクラフトです。
コーヒーのCMで「違いが分かる男」として、一般にも広く知られるようになった「風の流れが分かる」由良卓也代表が主宰するコンストラクター、ムーンクラフトは、それまでにも数多くのレーシングカーにスペシャルカウルを提供してきました。そのなかでも代表作となったのが、GC用カウルのMCS(ムーン・クラフト・スペシャル)で、MCS5は1984年シーズンに向けて開発されたその第5世代の作品です。
今回発掘されたのは1984年シーズンの富士GCに参戦した中嶋車です。永年のホコリに塗れていましたが、屋内に保管されていたとのことで心配されたほどには経年劣化はなく、赤いゼッケンシートの“色落ち”も意外なほど酷くはありませんでした。
このままホコリを掃って各パーツにカラーリングを施せば、展示にも耐えるコンディションになると思われるほどです。じつは夏に予定されているイベントに向けて、このEPSONカラーのGCマシンではなく、本来のF2仕様に復帰させるレストア作業が予定されています。そのため急遽、イギリス本国にオーダをしてマーチ832のF2仕様の新品カウル(!)を入手し、すでに手許に用意しているとのこと。
今後も作業の進捗具合に応じて続報する予定ですが、モータースポーツファン、そして高橋徹ファンには夏のイベントが待ち望まれることになりそうです。